phaの日記

パーティーは終わった

つくるには2



 例えば写真だったら、写真を撮り始めた最初はモノや風景を見ても、それを写真という長方形の平面に区切った場合どんなものができあがるのかがよくわからない。片目をつぶって自分の顔の前で両手の人差し指と親指を使って長方形の枠を区切ってみてはじめて「ああ、これは撮ったらこういう構図の写真になるんだな」ということがわかる。慣れてくると、指を使わずともパッと見ただけでこれを撮るとどんな写真になるのかが大体のところは何となくわかるようになる。枠組みが自分の中に備え付けられるのだ。
 短歌にしても同じ事で、短歌の本ばっかり読んでいると、自然に五七五七七の三十一文字のリズムが自分の中に内在化してくるようになる。最初は「ちょ・こ・れ・い・と、、、五音か」などと指を折りながら数えなければ音の数がよくわからないけれど、慣れると感覚ですぐに判断できるようになる。指で数えなくても。普通のおしゃべりを簡単に七五調に整形したり、町にある看板などを見て「国立近代美術館、、、8・5か。上の句に使えなくもないな、、、」とか瞬間的に思ったりするようになる。
 こういう枠組みや型の内在化は、才能がある人しかできないような特殊能力ではなくて、作品をたくさん見たり聴いたり読んだり自分でも試行錯誤しながら作ったりしているうちに、よっぽど相性が悪くなければ、誰でも身につけることができるものだ。枠組みを身につけるというのは例えば「四六時中アンダーワールドばっかり聴いてたら人の足音とかが全部四つ打ちに聴こえる」とかいうのと同じような話で、特に才能などは必要ない(ある程度の相性は必要だと思うが)。たくさん浴びていればいつの間にか呼吸をするようにそれをしているようになる。
 型さえ身につければ、出来不出来は別として、作品はいくらでもできるようになる。その先、良い作品を作れるようになるにはまた別の努力と能力が必要だけど。