phaの日記

パーティーは終わった

マルセル・デュシャンと20世紀美術展@国立国際美術館



 デュシャン、絵はよくわかんなかった。オブジェ的なものにはある程度面白さを感じたけれど、なんか微妙な感じだった。デュシャンという人については頭の回転が速くて才気走った人だったんだろうなあ、という感想。
 なんかびみょー、ってのは、作品を狭い空間に詰め込みすぎ、人多すぎってせいだったのかもしれない。
 こういうコンセプチュアルな作品のってのはそうでない作品よりもその作品が置かれている文脈に依存する度合いが高いです。作品そのものだけで人の心を揺さぶったり場の空気を変えてしまうような力強いエネルギーはなくて、その作品が乗っかっているコンセプトだとか展示されている場所の雰囲気だとか時代状況だとかと合わせて味わうことでやっと効力を発揮するようなものだと思うので、便器とかスコップとかタイヤとかが50センチおきくらいの狭い間隔で詰め込まれている上に人がやたらといっぱいいて(というのは日曜とかに行ってるせいなんだが)「なんやのんこれ」「便器やて」「便器。はあ」とか言ってる大阪のおばちゃんだらけの場所で見るとあんまり効かない、という感じだった。一つの作品に一メートル四方くらいのスペースがあったらなあ、と思った。
 そしてシチュエーションに依存するという意味で言えば、21世紀の現時点でそれを鑑賞するという点で既に状況を外しているのかも、と思った。発表された当時は衝撃的だったんだろうけど、っていう感じ。
 デュシャンのパロディ的なデュシャン以降のアーティストの作品というのも展示されてたんだけど、そっちのほうがピンとくるものが多かったのは自分に時代が近いせいなのかな、と思った。これだけ他人に影響を与えているということはデュシャンのしたことは凄かったんだろうなあ、と推測はできたけれど。
 あと、あんまり関係ないけど、そのデュシャン以後の作品は、突っ込み待ちっぽいのが多いなあ、と思った。作品を見て、そんで作品のタイトルを見たら「なんでやねん!」とか「鳥ちゃうやん!」とか「でかっ!」とか言いたくなって、心の中でひとりで突っ込んでたりした。そういう一発ネタとしての作品は、凄いとは思わないけど、芸人とかギャグマンガ家とかを好きなのと同じ感じで好きです。
 で、人が多くてうっとうしいのはさー、入場料を3000円くらいにしたらいいんじゃないかな。そしたら客が減って、場の雰囲気がぐっと良くなると思う。「今まで一部の特権階級にしか許されていなかったものを多くの人に開く」なんてのはもう充分歴史的に完了したので今度は閉ざして世界を細分化していこう。3000円になったら俺自身も美術館に行くかどうか微妙だけど。僕はそこまで芸術っ子じゃないので、3000円なら好きなCD買うかも。