phaの日記

パーティーは終わった

言いたいことがなぜうまく伝わらないのか



 外国語の学習をしているといろんなことを考えます。今タイ語と英語を勉強しているんですが、どうしたらリスニングがうまくなるかを考えていたら、議論などにおいてなぜ自分の言ったことが他の人に誤解されて話が噛み合わなくなることがあるのかが少しわかった気がしました。


 30音でマスターする英会話 - 聞こえない音
 http://www.uda30.com/bay/Box-bucks/Box-bucks1a.htm


 ここに載っている図が参考になりました。音にはいろんな種類の響きがこめられているけれど、聞くほうはその中から自分に理解できるものだけを聞いている。「box」の「o」の発音は日本語の「あ」とは違うけれど、自分の中の理解の枠組みとして「あいうえお」しかなかったならば、「あ」の枠組みで理解できる部分以外は雑音として自動的に捨ててしまって、「あ」と認識することしかできなくなってしまう。
 人間は自然をそのまま認識しているわけではなく、ある一定の型を使って認識しているという話だけど。複雑で多様な音の要素の中で、どの要素に焦点を合わせて、どの要素が大して大事じゃない誤差の範囲のものだと認識するかが大事です。喧騒の中だとか歌の歌詞を聞く場合などの聞き取りにくい状況でも、母国語なら結構理解できるというのは、この音の焦点をきっちり掴んでいるからだ。
 だから、外国語を学ぶ際には自分の中にまず発音を叩き込んで、認識の枠組みを作ることが大事だと思う。

 タイ語の学校に行っていて、そういったことを強く感じた。僕が行っていた学校は1クラスに8人生徒がいたんだけど、それぞれ人種はバラバラで、アメリカ人が一人(50代男エンジニア、バカンス中)、インド人が一人(20代女人妻、美人)、フィンランド人が一人(40代男、宣教師としてタイに来た)、韓国人が四人(主婦とか会社員とかいろいろ)、そして日本人(僕)が一人だった。この教室にいる人はみんな同じテキストを使って同じようにタイ語を勉強しているんだけど、みんな違う言語で考えているんだなあと思うと面白かった。
 そして、認識の枠組みが大事だいうことを考えたのは、人種ごとに間違え方が違うということだ。タイ語の「a」は、英語の「a」とも「ae」とも、日本語の「あ」とも少し違うんだけど、先生について単語を復唱するとき、アメリカ人の発音は何回頑張っても「ae」に近い音になりがちだし、僕の発音はやっぱりどこか「あ」っぽい発音になってしまってた。
 僕もアメリカ人も、忠実に先生の発音を真似しようとしているのに、それぞれ違う発音をしている。これは、僕とアメリカ人では聞いてる音が違うんだと思った。
 アメリカ人は、先生の発音するタイ語の「a」の音が含むいろいろな音の要素のうちから、英語の「ae」と共通の要素に焦点を絞って認識しているし、僕は日本語の「あ」と共通の要素に焦点を絞って認識してしまう。その焦点以外の部分はつい自動的に捨ててしまっている。
 そういうものが認識のクセというもので、外国語を身につけるにはそのクセを取らないといけない。


 そして、議論をするときに、自分の意見が自分の言おうとしたとは違う風に誤解されるのも同じだと思った。何か意見をいうとき、そこにはさまざまな要素が含まれる。以下はすごく乱暴な分析だけど、ある意見を言ったときにその中に含まれている意味の要素が次のような構成だったとする。

  1. 自分の過去のこういう経験から言ってこう想像するよ 40%
  2. 信頼する友達もそういえばこう言っていたし 15%
  3. そういえばどこかの大学教授も同じようなことを言っていた 10%
  4. ねーねーこういうことをちゃんと知ってる俺ってカッコよくない? 20%
  5. しかしこの人は物分りが悪いな 10%
  6. そんなことより早く帰りたい 5%

 この場合、自分が一番重点を置いているのは1の「自分の過去の経験から即してこう想像する」で、その他は補足要素にすぎないんだけど、聞いてくれる人がそう聞いてくれるとは限らない。自分と考え方や感性が合う人や、自分と付き合いが長い人ならばきちんと自分の言いたいことの中心を読み取ってくれることが多いけれど、そうでない場合、聞き手は全然違うところに焦点を合わせてしまう可能性がある。
 ある人は3の要素にばかり注目して、その他の要素をあまり重要じゃない雑音と判断してしまい、「あなたは自分で判断することをしないただの権威主義に過ぎない」と批判するかもしれない。
 またある人は4の要素にばかり引っかかってしまい「この人は自分のことを自慢したいだけだよね」と言うかもしれないし、5のような人を馬鹿にする態度に敏感な人は、その臭いを嗅ぎ取っただけで「なんか嫌い」とカテゴライズしてしまい、1から3で結構いいことを言っていたとしても全然評価してくれないかもしれない。
 結局はみんな自分の中の枠組みで物を見ている。どこに焦点を合わせるかが違う。
 では誤解されないためにはどうしたらいいかというと、なるべくたくさん言葉を使って誤解を招かないように丁寧に説明する、というのをすればいいと思うんだけど、めんどいよね。俺は自分とウマが合う人だけわかってくれたらいいし、そういう人とだけ仲良くできたらいいし。うんこー。
(最後で書くのがすごくめんどくなってきた)