phaの日記

パーティーは終わった

一人でいるのが好きみたい(社会性と音楽)



ここ2ヶ月ほど意識的に一人になるようにしている。人と会うのを必要最小限に減らして一人でパソコンやネットで遊んでいる。

ちょっと前までは「そういうのはあまりよくないかなあ、社会性をつけなきゃ」とか思ってたのだけど、最近は「自分で納得が行っていないことをしてても仕方ないよな。自分の不利なフィールドで闘っても負けるだけだし。好きなことだけやろう」という風に考えが変わってきた。

なんかもう、自分はそういう性質なんだな、という覚悟が固まってきたです。自分というものはもう大体出揃ってしまっているので、今あるこれで闘っていくんだな、という。28にして。
ずっと一人でいても寂しくなるというのはあるんだけど、人と長時間いるのは本当にだめだ。人と一緒にいるのも1時間から1時間半くらいまでなら結構楽しめるんだけど、2時間を超えるともう本当に帰りたくなる(だいぶん仲いい人ならまたちょっと違うけど)。

2時間という大体の目安がわかってだいぶ気が楽になった。それが分かる前は「俺は一人でいるときは人といたいと思ってて人といるときは一人でいたいとか思って全く何なんだろ」とか悩むことが多かったけど、それは程度の問題や長さの問題だった。これはよかった。

2時間しか耐えられないというのは、かなり一般的ではなくて社会性がないけれど、それはもうそういうものだと思うようになった。そういう性質だし、順番には逆らえないです。自分の性質はかなり偏っていると思うけど、偏って生きていく覚悟ができた。

そういう風に割り切れるようになったので、もう他の人が当たり前にできることができなくても悩まないと思う。その代わり自分には他の人が当たり前にできないことができたりするはずだし。

そんで、自分が何を好きか、何を好きじゃないかということを重視しようと思う。
自分は、好きなことをやっているときはかなり能力が高いけど、嫌いなことや興味を持てないことに対しては本当に駄目でミスばかりしてすぐいろいろ忘れてしまう。そのへんの性質もはっきりわかってきた。その性質に従って生きていこうと思う。

一人でいるのが自分にとって一番馴染むので、一人でできることは上達が速い。人一倍速いと思う。ここ2ヶ月はプログラミングにはまってるけど、これも一人でできるというのが大きい。

そういう、自分の性質を知る、ということがようやくできるようになったかな。今までは周りに流されたりしてたと思う。
今自分が自分から一番遠ざけたいのは、「自分ではあまりよくわからないけど周りが大事だというから従ってみる」とか「あんまり心が動かないけどそのうち必要になりそうだからやってみる」とかそういったことだ。
親がそういう性質だったせいか、そんな思考が癖になってるところがあるのだけど、それは全然かっこよくないし楽しくもないことなので根絶したい。そういう方針でうまく生きて行ける人もいると思うのだけど、自分はそういう性質ではないと気づいた。

自分にはつくづく社会性がないと思う。なんか、いつも頭の中で変な音楽がずっと鳴っているような気がしている。実際の音ではなく、思考や感覚や言語以前の漠然としたイメージの流れのようなものなんだけど。そのぐるぐるした音楽に浸っているのが好きだ。

人と喋っているときでもその音楽に気を取られるのでなんかうまく場に溶け込めないことが多い。
社会性のある人っていうのは、自分の身体の殻の前半分をパカッて開いて、自分の中身の半分を周りの空気と混ぜ合わせながらいるような気がするんだけど、僕の場合はその殻が閉じてて中によくわかんない音楽が充満してるので、うまくなじめない感じ。

音楽の中に潜っていったり、その音楽を言葉とかプログラムとかで具体的な形にして外に出したりするのが楽しい。そういう自分の中で起こるイベントだけでいろいろあるので、一人でいてもあまり飽きない。

音楽で外の世界と別の世界ができているので、外の世界の出来事にリアルタイムで反応するのは苦手だ。でも、情報をインプットしておいて、それを頭の中でぐるぐる回しておいて何かを思いつくのは得意だ。そういう風に、長所と短所は裏表だと思う。

友達の一人が言ってた。選択肢が多すぎると何をしたらいいかよくわかんなくなるから、何かができないというのは選択肢が狭まるのでわりといいかもしれないって。

時間には限りがあるし、できないことはできるだけしないでおいて、自分の心が動くことにできるだけ集中しようと思った。自分の中の音楽をもっと掘ってみたい。

そんなことを考えていたので、最近はてなで話題になっていた以下のエントリが心に響きました。

二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会の中に出て行くことができる。「好きなこと」と「飯が食えそうなこと」の接点を探し続けろ。そのことに時間を使え。

「何が好きなのか」という根源的な問いに答え続けようと努力することがまずあり、「好き」が見つかったと思ってもそれを極めていくのは時間がかかるし大変なことだし、その先で「それで飯が食えるのか」という難しい現実と折り合いもつけなければならない。その上、いつ自分の「好き」が変わっていくかもわからない。「好きを貫く」には、「好きを探し続け」、「好きを極め」、「必要なら軌道修正して新しい「好き」を極め」「好きで飯を食えるようになってサバイバル」しなければならない。

天才を目指してがんばる。