phaの日記

パーティーは終わった

大企業への適性について



「自分が作りたい作品が作れない」なんてことに悩んだことなんかない、という超優秀エンジニアとか、日本の大企業にたくさんいる。

この梅田氏のエントリで、「世の中には自分と違って、大企業で働いたりすることをそういう風に楽しめる人がいるんだな」ということをはっきり意識できた。前々から漠然と「あれはどういうことなんだろう?(何が面白いんだろう?)」と不思議に思っていたんだけど。
僕は大企業を楽しめる人の対極だと思う。僕は自分の中に流れている音楽に対応するのにせいいっぱいでそれ以外のこととか構ってられない。「転勤が急に決まるのが嫌だとかだってぜんぜん思ったことないよ。だって自分からじゃあ絶対に暮らしたいと思わないようなところで生活する機会が急にわが身に降りかかってくるわけでしょ。」とかいう台詞を見ると全く発想が違うんだなと思う。自分の中でやりたいことが多すぎてそんな余計なことやってる時間なんてないという風に僕は考えてしまう。

「朝起きてから寝るまで、自分のしたいことをする、それが365日続く、自分の時間を完全に自分でコントロールしたい」

という梅田氏の言葉に完全に同意してしまう。


だいぶ前に何かのきっかけで読んだあるブログのエントリだけど妙に心に引っかかって覚えているものがあって、それを読んで僕はしばらくのあいだ、「僕は『山田水産』で働けるようにならないといけないんじゃないか」と思っていた。それが大人であり成長であり俺が身につけないといけないものなのかなーって思ってた。

「もう、いっそのこと、山田水産に入ればいいよ」
「なにその会社」
「今、俺が適当に考えた。山田水産」
「やだよ、そんなの」
「いいんだよ、山田水産に入るんだよ。山田水産はマグロを輸入する会社で、東シナ海の漁船からマグロをどんどん買い付けるのね。もう、毎日マグロの仕入れ。港に何匹入ったとか、漁獲量が減ったから値上がりしたとか、そんなことをひたすらやるんだよ。べつに、マグロとか全然すきじゃないのに。でもなんかさ、そのうちすっげーマグロに詳しくなっちゃって、回転寿司にいったときとか、皿の上の中トロ見ただけで、卸値とか原価とかだいたいわかっちゃうし、つうかそんなにマグロに詳しい私ってなに? っておもうんだけど、でも意外に不満はないっていうか、まあマグロもありかな、みたいな気持ちになってくるんだよ。だからプラダじゃなくて山田水産に決めた方がいいよ」

なんか最近、「個性を追求する」よりも「アンチ個性重視」のほうがクールって雰囲気ない? 僕がわりと好きな物書きであるところの内田樹とか齋藤孝なんかが「個性」よりも「大人であること」とか「型の大事さ」とかをよく語っていたりするし、もっと2chレベルでは「ゆとり教育www」とか「自分探し(ぷぎゃー」とか。そういう話を聞くと「そうかもなあ」とか思ったりするので「あんまり自分自分言うのはやめて大人を目指そう」と思っていた時期もあったんだけど、でもやっぱり無理! やっぱり山田水産は俺には向いてない! とある時はっきり思うようになった。やはり俺は何か自分の興味とつながらないとだめみたい。
僕は、自分が個人的に興味がないものに対しているときは、全然頭が働かないし覚えられないし、全身がだるくて息が苦しくなる。反対に好きなことや向いていることをやっているときは結構能力が高いんだけど。
でも、数字は適当だけど、山田水産に向いている人は人口の40%くらいはいて、特に向いてないけどまあ山田水産でもやっていける人とか一度山田水産のような世界を経験しておいたほうがいい人(俺とか)も含めると全人口の80%くらいにはなるから、「とりあえず山田水産に入ってみろ」というアドバイスはありだと思うけど。


僕の場合は、「大企業が好きな人」と対比される「好きなことをやって働きたい人」よりもさらに社会性がないせいだと思うのだけど、働きたいという気持ちがそもそもあんまりない。でもやりたいことはいっぱいある(プログラミングとか武道とか音楽とか文章書きとか山篭りとか各国放浪とか)(料理とかダンスとか外国語とかもそのうち身につけたい)。そのへんの何かを食えることに繋げれば、ということももちろん思うけど、まあ食う食わないのは二の次で、とにかくやりたいという気持ちがまず、すごく強くある。
この気持ちをうまく理解されないことが多い。価値観が違いすぎるんだろうと思う。
例えば僕が「仕事するよりも一日中プログラミングとか楽器の練習とか旅とかしてたい」って言うと、「趣味に生きるんだね」なんて言われたりすることがある。うーん、確かに一般的には趣味としか言いようがないのかもしれないけれど、趣味っていうとやってもやらなくてもいいような、すごい軽いものに聞こえて自分としてはちょっと違う感じがする。僕としては、それは趣味というレベルではなくて「やんなきゃいけない」「自分の魂が必要としている」というくらいに感じているんだけど。


俺はこれで行く道合ってんのかな。わかんないけど、そのとき体がサバイサバーイに楽な感じでいれてたら合ってることにしようと思う。それが幸せというものだと思う。今までは世の中にはいろんな価値観があるということがよくわかってなくて、自分と違う価値観の人の言うことや、世間で一般的とされている価値観のことを「ひょっとしてそうなのかもしれない」と、気にしすぎてたと思う。

チェックポイント

* 与えられた問題(課題)を解く(解決する)のが好き。その問題(課題)を解く(解決する)ことにどういう意味があるかとかよりも、その問題が難しければ難しいほど面白いと思う。
* Whatへの「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらか。一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。そして苦手(つまり「嫌い」)を克服するのが好き。
* 尋常でない体力(特に何十年も長時間労働ができる持久力)を持ち、そこが競争優位になる世界が好き。
* 匿名性を好む。「これは自分がやったことだ」というような意志表明(自分の名前で仕事をすること)にあまり興味を持たない。むしろ一人ではできない大きなことを仕事ではしたいと考える(たとえば世界中に普及する自動車の開発に関与したというようなことを好む)。
* パワーが好き。政治的行動が好き。責任感が強い。いずれは組織の長になってそのパワーを行使することで何かを成し遂げたいと思う(社会貢献みたいな達成、共同体の家族も含めた幸福にコミットするとかも含めて)。
* 組織の一員であることの「気楽さ」、「安心感を持ちつつ生活できる」ことが好き。
* 短期決戦型勝負よりも長期戦のほうが好き。
* 「巨大なものが粛々と動いていく仕組み」みたいなものが好き。工場が好き。プラントが好き。巨大建造物が好き。社会のルール作りみたいなこと(立法っぽいこと)が好き。
* 「これが今から始まる新しいゲームだ」と「ルール」を与えられたとき、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことに邁進する、みたいなことが好き。
* ・・・・(また思いついたら追記する)

こうした一つ一つの「好き」のいくつかの組み合わせがかなり極まっていて、大組織の中で本当に心から楽しそうに仕事をしている人が日本企業にはかなりいて、見ていてその生き方に感動することもあるし、個として「好き」を貫いていて素晴らしいと思うことも多い。ただこういう要素のすべてに直感的に「ノー」と違和感を覚える人がいるとしたら、絶対に大企業には向いていないと思うよ。

見事に全部当てはまらない。全ての項目において「そんなことに何の意味があるんだファック」って思ってる

その他梅田氏の関連エントリ

やっぱりウェブの進化は、個を強くする、個に力を与える方向性を持った革新的技術だ。自分の中に「好き」の核さえできれば、かなりのところまでは一人で突っ走っていける。そういうインフラがすべての人に開かれようとしているわけだ。ならば、大企業・大組織で長くやっていける適性(これまでの日本社会で強く求められていた適性)があまりない人達でも、何か「好き」の核を見つけることができれば、僕らの世代にはなかった可能性が開けるのではないかと思っている。

どちらがよいとか悪いとかではない。これは傾向、向き不向きの問題である。「配属」「転勤」「配置転換」「別の組織への昇進」のような「他者による自分の生活や時間の使い方の規定」を、「未知との遭遇」として心から楽しめるかどうか。そこがかなり大切になる。

梅田氏のエントリへの反応の抜粋。