phaの日記

パーティーは終わった

2DKと俺



斬られて候★生き延ばし。 - 聞こえる日を読んで思い出したこと。
バンコクに来る前は大阪の天六で一人で2DKの部屋に住んでいた。和室6畳・洋室4畳半・DK4畳半の3部屋。駅から遠いのと建物が古いのとでそれほど高くはなかった。
一人で2DKに住むにあたって影響を受けたかもしれないことは、当時保坂和志の小説が結構好きで、保坂和志のデビュー作である『プレーンソング』は2DKに一人暮らししている自分の家にいろんな友達とかとかが住んだり出て行ったりふらふらしたりたわいもないことを喋ったりするだけというただそれだけの(でもとても美しい)小説だ。なぜ主人公が一人で2DKに住んでいるのかという理由は「女の子と一緒に住もうとしていたのだが突然振られてしまった」というものだがそれは冒頭でたった一行で語られるだけでそれ以上は出てこないので、それは「一人で2DK」という設定を成立させるための形式的な説明だろう(あと「この作中では恋愛については語らないよ、これは恋愛の話じゃないよ」ということも暗示しているが)。
一人で2DKという空間設定が重要なのだ。一人で1DKだと友達が泊まりにきてもやはり少し狭さを感じてそんなに長居はしないかもしれないけど、2DKだと頻繁に泊まりにくる人がいたり住み着く人とかがいるかもしれない。物理的な条件が人間関係の広がり具合を左右する。今思うとそんなことを考えていたのも一人で2DKに住んだ理由だっただろう。
2DKに住んだばかりの頃は「家出した家娘とかを拾ってきて住み着かせたいなあ」なんてことを思っていたが、家出少女のようなものはそうそう落ちているものではなく結局そういうことはなかった。「住む場所のない友達が出たら『うちに住んでいいよ』と言おう」とも思っていたがそれも結局はなかった。それでもその2DKにはわりと友達が泊まりに来てくれることが多かったと思う。
また思い出すのは中島らもが28歳くらいのときに会社をふらっとやめて、どこか郊外の一軒家で妻と子供と暮らしていたときに、その家にはフーテンの居候がむちゃくちゃたくさんいたという話だ。あまりに居候が多くて汲み取り式便所が溢れた話はよくエッセイに出てきた。ちょっと前に中島らも追悼の冊子で中島らもの嫁さんと子供2人とあと誰からもさんの友達とかが対談しているのを読んだのだけど、そこで面白かったのは中島らもの子供たちが

「小さい頃、(居候の人が多くて)どこまでが家族なのかがわからんかったよね」
「だよね」

と話していたことだ。そんな生活にやっぱり憧れるところがある。

プレーンソング (中公文庫)

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バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)

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