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phaの日記

毎日寝て暮らしたい

ギークハウスを作って7年経った



この記事はギークハウス Advent Calendar 2015の1日目です。

geekhouse.tumblr.com

最初に「ネットやパソコンが好きなギークを集めてシェアハウスをしたい」と思ってギークハウスを作ったのが2008年のことだったので、もう7年も経ったことになる。
自分でシェアハウスを作ろうと思った最初のきっかけはこのへんの記事だったと思う。

pha.hateblo.jp
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7年の間にはいろいろあったしいろんな人に会った。最初は僕がやっている1軒だけだったギークハウスも、他にも作りたいという人が出てきたので増えていって、今では二十数軒くらいある。

最初の2、3年、全部で5軒か6軒くらいの頃は全てのギークハウスに住んでいる人をなんとなく把握できていてみんなゆるく交流があったのだけど、今では家の数が多すぎてギークハウスと言っても行ったことがないハウスも多いし住んでるのも知らない人ばっかりという感じになった。まあ、どんな集まりでも規模が大きくなるとそういうものだろう。

新しくできたギークハウスも多いけど、既になくなってしまったギークハウスもたくさんある。まあそれもそれでよいと思う。そんなに何年もずっと続けなくてもいいし、やりたいときだけやればいい。

住む人間も結構入れ替わっているけど、別にみんながずっとシェアハウスに住み続ける必要はない。人生の一時期に、住んでみたいと思ったら住んでみたらいいし、一人暮らしや家族などまた別の暮らし方をしたいと思ったらそうしたらいい。選択肢さえ多ければいい。

わりと好ましく思っているのは、ギークハウスに住んでいた人が、新しく独自に別のシェアハウスを作ったりするというパターンが複数あることだ。なんかミームが伝わっていってる感じでよい。あと、やっぱみんなシェアハウスを結構必要としてるんだ、ということを感じる。

シェアハウス、良いことも悪いこともいろいろあるけれど、ワンルームで一人暮らしをする牢獄感よりはマシだ、というのが僕の認識です。

ギークハウスで出会ってその後結婚したという話も5組くらいある。結婚まで行かなくても単に付き合ってるとか同棲ならもっとある。まあ人間が出会う場所があればそれも必然だろう。結婚や家族も、「つながりの強いシェアハウスの一種」というくらいに僕は思っているけれど。

こないだ出した『持たない幸福論』という本の中でこんなことを書いた。

コミュニティというのはキノコみたいだなということをよく思う。
(中略)
人間関係も、知り合いのネットワークというものが菌糸のようにゆるく広く拡散していて、そのネットワークの中でたまたま何かの条件がそろうと、コミュニティやイベントなどの外からも観測できる人の集まりが多種多様な色彩のキノコのように生まれてくるのだ。
コミュニティは数年単位でできたりなくなったりを繰り返すけど、個人間の繋がりというものは何年か会わなくてもそんなに消えてしまわないものだ。特に今はインターネットのおかげでゆるく知り合いと繋がり続けるのは楽になった。菌糸に栄養があれば子実体を何回でも作れるように、良い人間関係のネットワークを持っていればそこからいろんなコミュニティを何回でも作り出せるだろう。

一つの場所にこだわり続ける必要はなく、どんどん新しい場所に乗り換えていけばいい。人がいる限りそこには集まりができるものだし。

今後の展開としては、いろんな土地にギークハウスができるというのも少しパターン化してきたので、ギークハウス無とかギークハウス速とかギークハウスφとか概念的なギークハウスがたくさん生まれれば面白いなと思う。

ギークハウスに住んでいたけどその後死んでしまった奴もいる。そこで、死んだ奴のことは「あいつはギークハウス無に引っ越した」と言うのはどうか、とこないだ考えていた。
死んだことの婉曲表現として「天に帰る」とか「不帰の客となる」とかそういうのがいろいろあるけど、そういうやつだ。
今頃あいつとかあいつはギークハウス無でワイワイやってるんだろうなあと思う。ヴァイキング神話で言うヴァルハラみたいなものだ。僕もそのうち向こうに引っ越すことになるだろう。

明日は@tokisabaさんです。