phaの日記

パーティーは終わった

冬とカモメとフィッシュマンズ



ユリカモメは冬の渡り鳥だ。毎年冬になるとシベリアあたりの厳冬を避けて南へと飛んできて日本の川辺や海沿いで越冬し、暖かくなるとまた北へと帰っていく。

大学時代に京都にいた頃は、当時住んでいた寮の近くを流れている鴨川の河原に行ってはよくユリカモメに餌をあげていた。

二十歳前後の僕は今よりも暗く内向的で友達も少なく、今よりもさらに将来の見通しがなく、社会に適応できないという思いを持ちつつも社会から外れる勇気も持てず、この先どうやって生きていったらいいのかいつも途方に暮れつつ、過剰な自意識や承認欲求や性的衝動をこじらせて周りに迷惑をかけたりしていた。要はよくいる暗くて面倒臭い大学生だった。

「もうだめだ、つらい」

気が滅入ってそんなことを呟きながら汚い寮の玄関をくぐり抜けふらふらと鴨川まで歩いていって川のそばの100円ショップでかっぱえびせんやベビースターラーメンなどのスナック菓子を買って橋の上で袋を開けてつかみ出した中身を適当に空中に放り投げると、あっというまに白くてひらひらしたユリカモメたちに囲まれる。ぐわあぐわあという騒がしい鳴き声が自分を包囲する。

ユリカモメは公園で老人に餌をもらってぬくぬくと肥え太っているハトなどよりもずっと運動性能が高く、水にも入れるし空中で旋回もできるので、動きを見ていると面白い。餌を高く放り投げれば巧みに空中でそれをキャッチする。

黄色い菓子をつかんでは投げ、つかんでは投げとするたびに空中に白い羽が入り乱れ、あたりはまるでお祭りのようになる。菓子を司る自分がその空間を統べているような気分になる。鬱々としたときはよくそうやって気を晴らしていた。

今の僕は京都を遠く離れて東京に住んでいるけれど、東京には何故鴨川がないのだろうと不満に思う。京都の鴨川は、町中の歩いてすぐに行ける距離にあって、そこに行けば水や草や鳥や開けた景色や自由に座れるベンチがあるという、無料でいくらでも過ごせて何でもできる貴重な空間だった。

あの頃は全てが鴨川の河原で行われていた。散歩をするのも日光浴をするのも、花見をするのも花火をするのも、女の子と初めて手を繋ぐのも初めてキスをするのも、そして別れ話をするのも、全部鴨川だった。今でも鴨川の河原を歩くと、100メートル置きくらいに何らかの思い出が埋まっていて蘇ってくる記憶に足を取られて進めなくなるので非常に危険だ。

当時の僕は穂村弘を読んだ影響で短歌を作ったりしていて、天気のいい日に河原を歩き回るといろんなイメージが浮かんできたものだけど、あの頃は感性が鋭敏だったなと思う。今の僕はもうすっかり鈍くなってしまった。風景を見てもあまり何も面白いことを思いつかなくなった。瑞々しい感性を失ってしまった。

感覚が鈍った分、その分生きやすくなったというのはあるかもしれないけれど、最近はもう、感動したり本気になったりすることがすっかり少なくなった。

本や音楽も昔に比べると全然読んだり聴いたりしなくなった。音楽なんかは今でも大学時代とほとんど同じもの、例えば中島みゆきとフィッシュマンズを延々と聴き続けていたりする。全く進歩がないけれど、飽きないので仕方がない。

僕にとって中島みゆきは寮のこたつでだらだらと過ごしていた記憶と結びついていて、フィッシュマンズは鴨川を歩いていた思い出と結びついている。フィッシュマンズを聴くたびに、音楽を聴きながらふらふらと鴨川を歩いていた時の気分を思い出す。

フィッシュマンズを教えてくれたのは今はもう死んでしまった大学の友人だった。僕がフィッシュマンズを知ったときには既にボーカルの佐藤伸治はジョン・レノンと同じように故人になっていてバンドも活動停止をしていたけれど、ボーカルの若年での死という事実と夕闇の中でゆらゆらと浮遊し続けるような音楽性が相まって、彼らの音楽は僕をこの生きづらい現実から抜け出させてどこか遠い彼岸へ連れて行ってくれるような気がしたのだった。

僕にフィッシュマンズを教えてくれた友人は結局大学を卒業できずに死んでしまった。僕はなんとか単位を揃えて卒業し、その後、就職・退職・上京などを経て、今は東京で何とかやっていっている。

東京に出てきてから知り合った年下の友人もフィッシュマンズが好きだった。彼とはニルヴァーナのコピーバンドをやったりして遊んでいたのだけど、彼も一昨年カート・コバーンと同じ27歳で死んでしまった。なので、フィッシュマンズみたいな音楽を好きな人は早死にする、ということをどうしても思ってしまう。

大学時代からもう15年が過ぎ、カート・コバーンが死んだ27歳も佐藤伸治が死んだ33歳も過ぎて、僕はもう37歳になってしまった。けれど、フィッシュマンズを聴くたびに自分はまだ23歳くらいで、何も定まっていないままふわふわと生きているような気持ちになってしまう。
37になってもまだフィッシュマンズを聴いているとは思わなかった。そんなことを考えるたびにこの歌詞を思い出す。

ドアの外で思ったんだ あと10年経ったら
なんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何もできないよ
僕はいつまでも何もできないだろう


フィッシュマンズ "IN THE FLIGHT"

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あの頃に比べて自分は何かができるようになったのだろうか? 


本質的には今でも自分は20歳前後の頃と相変わらず何も変わらないダメ人間だと思う。でも、当時に比べるとなんとかうまく自分のダメさをごまかしながらやっていく術を身につけて、だいぶん生きやすくなったとも思う。
でも、それはただの衰退なのかもしれない。感性や欲望や体力や自意識が弱ったせいで、周りとぶつからずに適当に妥協して周囲に合わせて穏やかにやっていくことができるようになっただけかもしれない。
そんな風に生命力がどんどん弱っていけば、そのうち自然にろうそくが燃え尽きるように、執着なくあちら側に行くことができるのだろうか?
分からない。今はまだ全然何も分からないけど、僕はこれからもフィッシュマンズを聴くたびに、そしてユリカモメを見るたびに、京都の鴨川沿いの風景を思い出し続けるだろう。