phaの日記

パーティーは終わった

最近文章が書けなくなった



正確にいうと、書く意欲が湧かなくなった。
僕は、ネットとかにあれやこれやの思ったことを書き続けていれば人生はなんとか進んでいくだろう、と思って今までやってきた人間なので、書けなくなるのは困る。これからどんなふうにやっていけばいいんだろう。
なぜ書けなくなったのだろうか。いろいろ思い当たることはある。

・大体書きたいことは書いてしまった
・長く書き続けてきたので自分の書くことに飽きてきた(会社をやめてブログを熱心に書き始めてから15年、最初に本を出してから10年)
・シェアハウスをやめて一人暮らしになったのでいろんな情報にさらされる度合いが減った(最近はテレビとかよく見ていて普通になった)
・ネット全体の雰囲気が自分に合わなくなってきた
・40代になっていろいろエネルギーが減ってきた

かつての自分は、ツイッターに断片を書き散らす→そういうのがある程度まとまったらブログに書く→もっとまとまった内容は書籍にする、みたいな感じで物を書いてきたのだけど、そのサイクルがどこかに失われてしまった。

僕が今まで書いてきた本には二つの方向性があったと思う。
一つは、自分自身のちょっと変わった体験や考えを書くこと。『どこでもいいからどこかへ行きたい』とかエッセイ系はこの方向性が強い。
もう一つは、自分が本で読んだりした内容を、わかりやすく伝えること。『人生の土台となる読書』などの本はこの方向性が強い。
本によってそれぞれの比率は違うけど、大体この二つが交じっているのが僕の本だと思う。
一つ目の体験や考えについては、自分がシェアハウスをやめてわりと普通の暮らしになったというので、書くことが減ったというのがありそうだ。
二つ目の知識の噛みくだきについては、自分の引き出しにあるものは大体伝え終わってしまったのかもしれない。
そうやって、書くことが思いつかなくなってきた。

いや、本当は昔も今も、自分の中にあるものはそんなに変わってないのかもしれないとも思う。
変わったのは、別に大したことがない自分の考えを、これは発表するに足るものだ、と思い込む力がなくなってしまった、というところなのかもしれない。勘違いがなくなってしまっただけなのかも。
20代とかの若い人を見ていると、いろいろやっていくぞ、という気迫にあふれていて、いいな、と思う。
たくさん考えて、たくさんわけのわからないことをして、たくさん失敗をして、それでも進んでいく、そんな時期が自分にもあった。
若さとは勘違いに過ぎないのかしれないけど、そもそも人生だって全部勘違いみたいなものだろう。
何かに勘違いして夢中になれる力がもう一度ほしい、という気持ちと、そういうのはもう疲れるからいいや、という気持ちが、両方自分の中にあって揺らいでいるという、43歳の秋です。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 
 
 
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最近は新しく文章を書く気力がないので昔に書いた文章をまとめたりしているのですが、シェアハウスに住んでいた頃の日記をまとめた『曖昧日記』全2冊を発行しました。カオスなシェアハウスの生活が終焉を迎えるまでの記録です。

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