phaの日記

パーティーは終わった

遺言



別に近々死ぬ予定があるわけではないが,終末を意識することが日常に強度をもたらすという説に従い,少しだけ遺言を認めておく。

 5月21日に紹介した折田先生像を初めて汚した戸田公人氏のサイト、おっとせいのきらひなおっとせい自己紹介のページに、この文章とともに簡単な遺言が置いてあった。
 俺もそんなに最近には死なないと思うけれど、こんな風にサイトにでも遺言を残しておこうかと思った。大体いつ死ぬかわからないし、それなのに自分が死ぬということをすぐに忘れてしまう。いけない。書いて残さないとついつい見えないふりをしてしまうくらいおろかだからな俺は。


 ここに書いているように、葬儀でフィッシュマンズを流すのはいいな。フィッシュマンズは死が似合う。融けるような、とても心地の良い孤独を与えてくれる。友人が死んでしばらくもよく聴いていた。
 まあ、奴がフィッシュマンズを好きだったということもあるのだが。