phaの日記

パーティーは終わった



「もっと金を儲けてすごく大金持ちになったら、金というものはちょっとやそっと使ってもなくならないのだから、いくらバカみたいな使い方をしても平気だ」という論理は、典型的な「金の使い方の分からない貧乏人の論理」だ。ここには、「万一の時に備えて貯金しなきゃ」という貧乏人の発想が、相変わらず生きている。日本人が長い間かけて作ってきた「万一の時に備えて貯金しなきゃ」という貧乏人根性は、そうそう直らなかった。
 日本人にとっての"自分"というものは、ちょっとしたことで「困ったことになった……」と首をうなだれてしまうような、脆弱なものだった。「必要なものを必要なだけ”自分”というものに投資して、いざという時になって平気でいられるような強い自分を作る」などという、贅沢な発想は、貧しい日本人の中になかった。ただ、「金を貯めて万一に備える」なのだ。昔の私が−そしてそれは今でも変わらずにそうなのだが−「貧乏が嫌いだ」というのは、貧乏というものがそんなに"自分"を虐待しておいて、その"虐待"にまったく気がつけないでいるからだ。

橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの未来計画』(小学館文庫)第2章 1980年代はじめの日本に起こったこと

 貧乏性がなかなか抜けない。効果の低い節約が多い。