phaの日記

パーティーは終わった

田舎はオープンワールドRPGみたいだった



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今年の十一月は一週間ほど和歌山県の山奥の熊野のあたりに滞在していたんだけど、東京に帰ってきた今も、あそこで過ごした日々は何か神話とか昔話のようなフィクションのできごとだったように感じる。そこで過ごした時間はそれくらい東京での普段の暮らしとはかけ離れていたんだけど、でもそれは同じ現代の日本に存在している暮らしだし、よく考えたらそういう暮らしも全然ありかもしれないし、いい加減東京にも飽きてきたし、ああいう場所に生活の軸を少し移してみようかと考えはじめている。
このあたりには熊野三山と呼ばれる三つの有名な神社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)がある。昔から天皇とかが熊野詣をしたり、天皇だけじゃなく一般庶民も詣でまくっていたという歴史があって、最近では神社とその参拝道である熊野古道とがまとめて世界遺産に指定されたという伝統のある土地だ。神話っぽさを感じたのはそういう背景のせいもあるのかもしれない。

とにかく感じたのは「面積あたりの人間の少なさ」だ。周りはあたり一面、山、山、山で、山の合間にところどころに集落がある、といった感じで、東京と比べると、人間が空間に少ないというだけで、こんなに生活や精神に余裕が持てるものなんだ、と思った。


そこではNPOの人たちが廃校の校舎を改修して住んでいて、僕とニートの友人2人もそこにお世話になっていた。そこには常に住んでいる人が5〜10人くらい、よく出入りする人が5〜10人くらいいて、ゆるい共同生活を送っている。食事と寝る場所は無料で提供してもらえた。食べ物は放棄された畑を無償で借りていて、家も使われなくなった廃校の校舎を利用して暮らしているからだそうだ。インターネットもZTVとかいうのが通っていて使わせてもらえた。

土地や空間さえ十分に余っていれば、住む場所はお金がかからないし食べ物だってそこから獲れるし、お金がなくても生きるのはなんとかなるんだ……というのが衝撃だった。いつも僕らは東京で何をするにもお金が必要な生活をして、お金に追われて暮らしている。自分の友達にはうまく働けない人とかお金がない人が多いので、みんな生活とか仕事とかで苦労していて、家賃のためにしんどい仕事をしたり、家賃が払えなくて仕方なく東京から実家に帰ってしまったりしている。そういう友達を無条件で住ませられる居場所があったらいいのにっていつも思ってるけど、僕自身もあまりお金がないし、東京はあほみたいに家賃が高いので広い家を確保するのが難しい。


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(滞在していた施設)


熊野に移住してきた若い人なんかに話を聞いていると、一軒家で家賃が月1000円とか月5000円とか、土地付きの一軒家が20万円で売られてたりいるのを買ったとかいう話ばかりで、東京に住んでるのがバカバカしくなった。東京だとあんまり広くないシェアハウスとかに住んでいても個室で月6〜7万、相部屋でも月4万円くらいしてしまう。田舎だと東京の一ヶ月分の家賃で一年分住めてしまう。僕らは家賃を払うために生きてるわけじゃない。何やってんだろ。

まあ一度は東京に出てきたい気持ちは分かる。僕も5年前そうで、ネットで知り合った人と実際に会って友達になったりしたくて仕事を辞めて東京に来た。でも5年住んだらだいぶ飽きた。東京に定職があるわけでもないニートが東京みたいな家賃がクレイジーな都市に住んでいるのは本当にクレイジーだと思うし、インターネットさえあれば別に住む場所なんてどこだっていいはずだ(熊野にいると不思議とそれほどインターネットしたくならなかったけど)。


でも田舎ってやることないんじゃないの? 仕事もないんじゃないの? じゃあ生きてけないんじゃないの?とか思ってたけど、僕が見た感じではそうでもないようだった。むしろ、やることとか仕事とかは無数にあるのに圧倒的に人が足りてなくて、動ける人間はみんな忙しそうにしている、という感じだった。

僕も滞在中に少しだけそこの施設の人がやっている作業を手伝った。近所にある空き家(空き家は本当にたくさんある)を住めるようにするために片づけたり、家の床や壁の板を釘を打って張ったりした。畑作業なんかも人手はいくらでも必要そうだし、空いている畑はそこらじゅうにいくらでもあった。


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(刈り入れられた稲がガードレールに干されている)


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(床を張るpha)


田舎だとそのへんの人と喋ってると「どこどこで人手が足りない」とか「◯◯やる人いないか」とか「××の家が空いてるけど何か使えないか」とかいう話をしょっちゅう耳にするし、やることはいくらでも転がっているのだ。まあ、お金をバリバリ稼げる仕事ではないかもしれないけど、人と会ったり喋ったりしてれば米とか野菜とかを何かと分けてもらえる感じだし、ある程度人と交流していれば生きていくのは全然問題なさそうだった。

他にも家庭教師、パソコンや家電修理、ウェブ制作などを仕事にしてる若い人もいて、そういう仕事は口コミで噂がすぐに広がっていって、仕事はたくさんあって忙しそうだった。別にそういう専門技術がなくても普通に体を動かせれば暮らしていくだけなら困らなさそうだったけど。


基本的に人が足りないので、一旦信用されるといくらでも仕事は回ってくるみたいだ。廃校や空き家を再利用するプロジェクトでも、一つがうまく行くと「今度はここにも廃校があるんだが何かできないか」「ここの空き家も何か利用できないか」といった話が次々にやってくる。聞いている限りでは今いる人間では利用しきれないほどの空き家や廃校があるようだった。もったいないので東京の人口を0.0000000001%でいいのでsこに移植できたらいいのに……。やっぱ東京は人が高濃度凝縮されすぎていて異常だと思う。ちなみに滞在していた新宮市の人口は約3万人、面積は約255平方キロメートルだ。

僕も熊野で、知人の所有している家の一部屋を借りて、そこを「ギークハウス熊野」とかいう名前にして、生活の一つの拠点として使ってみようかと考えている。まあ、その家は現在床とか壁の板が全くない状態なので、これから人手を集めてトンカントンカン大工仕事をして家を作らないといけないんだけど。


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(また別の廃校の校舎の様子。現在NPOの人などによってカフェなどにできないか検討中のようだ。ちなみに去年の大水害*1で壁の上の方にある線まで水没して、そのまま放置されている。)


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(借りようかと思っている建物。まだ壁や天井がない。)


熊野に行く前は家でずーっと引きこもってスカイリムというゲームを一日10時間ぐらいやってたんだけど、熊野の暮らしはリアルなスカイリムだ、と思った。僕がスカイリムでやっていたことと言えば、山や野を走り回ったり、弓で鹿を狩って肉と皮を手に入れたり、皮をなめして革製品を作って売ったり、薪を割って売ったり、山賊や吸血鬼を倒したりしてたんだけど、山賊や吸血鬼以外は大体熊野でもできる。ゲームよりリアルのほうが目が疲れないし解像度が高いし、人がいっぱい出てきても処理落ちしないし。

何より、田舎はイベントの発生の仕方がスカイリムみたいなオープンワールド系のRPG(広大な世界を自由に動き回って探索・冒険できるゲーム)にすごく似てるなって思った。そのへんの人と喋ってると「向こうのほうに使われていない廃校があるよ」とか「今度鹿を狩るんだが興味ないか」とか「炭焼きをできる施設があるぞ」とかそういう情報が得られて、そうすると頭の中でスカイリムみたいに『マップに新しい場所(西の廃校)が追加されました』とか『クエスト:鹿狩りが開始しました』みたいなフラグが立つのだ。

あの感覚はなんだろう。東京ではなんであんな風に感じないんだろう。「土地が広大だからマップに新しい場所が追加されました感が大きい」とか「東京に比べて人やイベントが少なくてネットに載ってない情報も多いから、人から直接聞く情報の重要度が上がる」という感じだろうか。

The Elder Scrolls V : Skyrim 【CEROレーティング「Z」】

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そもそも熊野に行くことになったのは、京都で開催された「しゅ〜もや(就活にモヤッとする人へ。)」というイベントに呼ばれたのがきっかけだった。これはいわゆる大学新卒の人がやる「就活」ってものになんかモヤッと感じてる学生とか社会人が集まっていろいろ話したりするというイベントだった。場には40人ほど集まって、学生と社会人が半々ぐらい。僕はまあ、「新卒時の就活が全てなわけじゃないし、そのルートに適応できなくても他のルートから就職してうまく働いてる人なんかも、ウェブを見るといっぱいいるし、うまく行かなくてもあんまり自分を追い詰めずにいたらいいと思います。働かずにしばらくプラプラしてるのもありじゃないでしょうか」みたいなことを喋ったりした。
 →イベント参加者の感想


このしゅ〜もやの主催の並河哲次くんは京大を卒業してから、熊野で「なんかNPOの拠点に住み込んで、農業やポン菓子売りをやっている」みたいな感じでぶらぶらしてたあと、新宮市の議員になったという人で、半年ほど前にちきりんさんのブログで全9回にわたって紹介されてたのでこのイベントの前から名前は知っていた。

さらにその前から、最近よく会う伊藤洋志くんからも、この新宮市熊野川のあたりがいろいろ面白いらしい、という話を聞いていて*2行ってみたいと思っていたので、京都に行くついでに訪問させてください、と並河くんにお願いして連れていってもらったのだった。

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(伊藤洋志くん)


「京都に行くついで」と書いたけどそんなに近いわけでもなくて、この熊野という地方は本当に紀伊半島の奥のほうにあるので陸の孤島というか、大阪から行っても車で5時間、名古屋から行っても車で5時間くらいかかってしまう。東京から高速バスで行くと10時間ぐらいかかる。アクセスは不便で山は深い。でもそういう場所だから都会の影響を受けない面白さみたいなのが残ってるのかもしれないと思った。個人的には温泉がそこらじゅうにあってとてもクオリティが高いのが嬉しい。東京とか都会から完全に撤退するつもりはまだないけど、少しずつ東京からその他の地域に生活の軸足をずらしていきたいし、次はいつ熊野に行こうかな。就活にモヤッとしたり会社にユラッとしたり都会にギスッとしたりした人は田舎暮らしを検討してみてもいいかと思います。熊野に限らずいろんな地域に若者が集まってそういう生活を支援しているNPOとかはあるみたいだし。全く縁のない田舎にいきなり一人で飛び込むのはキツいけど、同世代のよそから来た若者が集まっているコミュニティがあれば結構いけるんじゃないかなと思う。


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(一緒に行った友人が黒板に描いた絵)


関連記事:「田舎には仕事がない」は本当か、考えてみた | 地球のココロ:@nifty


追記

12月に熊野の廃校再生の人手を募集中だそうです。上の記事で写真を貼った廃校(九重小学校)です。熊野に行ってみたい人はこれに行ってみると行きやすいかと思います。

追記2

SOTOKOTO (ソトコト) 2013年 02月号 [雑誌]