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phaの日記

毎日寝て暮らしたい

一人で意味もなくビジネスホテルに泊まるのが好きだ



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一人でビジネスホテルに泊まるのが好きで、ときどき用もないのに泊まりたくなる。1泊4000円くらいの一番安いやつだ。なんとなく毎日の生活に飽きてきたときとかに、ネットの旅行サイトでとにかく安いビジネスホテルを検索して、「1泊4000円プラス交通費を出せば、行ったことのない街でぶらっと散歩したり適当に飯屋でごはんを食べたりしてからいつもと違う部屋の清潔なベッドでゆっくり眠って朝を迎えられるのか……」と想像するだけで、なんか解放感を感じる。

ビジネスホテルのあの、とりあえず生活に必要なものは一通り揃っているけれど全部高級ではなく安っぽくて、部屋も狭くて、でもそれなりに清潔感だけはあるという最低限で機能的な感じが好きだ。変に高級なホテルだと(あんまり泊まったことないけど)「ここはいい部屋なんだからあまり散らかしてはいけない……」とか「だらしない格好で寝そべるんじゃなくてもっと優雅に過ごさなければいけない……」とか、いろいろ遠慮して気を遣ってしまってくつろげない。ビジネスホテルは安っぽい感じだからこそ自宅と同じように気兼ねなく自由に過ごすことができる。

ビジネスホテルの部屋はどこに泊まっても画一的で同じような部屋なのもいい。日本全国どこの土地でビジネスホテルに泊まっても、部屋に入るとワープして全部同じ空間に繋がっているんじゃないかというくらい、無個性で外界から隔絶されている量産型の水槽のような感じがある。

フロントで簡単なチェックインを済ませて部屋に入ってドアを閉めた瞬間すごくワクワクする。別に部屋で何か特別なことをするわけじゃなくて、最初は少しテンションが上がって意味もなく服を脱いで綺麗にシーツがセットされたベッドにダイブしてムフーンとか唸りながらごろごろ転がってみたりもするけど、すぐに我に返って落ち着いて服を着て、あとは一人でだらだらとテレビを見たりインターネットを見たりするだけだ。食事なんかも適当にコンビニで弁当を買ってきて部屋で食べたりする。

要は僕がビジネスホテルでやっていることは普段家でやっていることと全く変わらない。でもそれがいつもと違う場所だというだけでなんかすごく楽しくて解放感がある。見てるものは同じはずなのにいつもと違う場所で見るインターネットはなんであんなに楽しいんだろうか。普段ほとんど見ないテレビも面白く見れる。外で弁当を食べたりお酒を飲んだりすると美味しいのと同じことなんだろうか。


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旅行をしても旅先でネットを見たり本を読んだりしてることが多いんだけど、そういうことをしてると「せっかく旅行してるのにもったいない。もっと何か旅でしかできないことをすればいいのに」って言われたりする。でも、それはちょっと違うな、と思う。

僕の実感としては、「旅行中にインターネットをしている」のではなくて、「ずっと家でインターネットしてると飽きるからたまには別の場所でインターネットをしている」というほうが近い。部屋が好きだし部屋で過ごすのが好きだけど、でもずっと同じ部屋でネットをしているとなんか煮詰まったり飽きたりしてくるところがどうしても出てくる。だからたまにちょっとこもる部屋を変えてみるという、それだけな気がする。

僕は何もせずに部屋でだらだら過ごすのが好きだけど、そんな自分にもやはり少しの目新しさとか変化のようなものが何か必要なのだと思う。何もしたくないけどずっと何もしていないのもつらい。我ながら面倒臭いと思うけど、まあ人間はそういうものなんだろう。

そうした「ずっとひきこもってたい」と「ずっと家にいると飽きる」という矛盾した欲求を両方満たすのが、「一人でビジネスホテルにひきこもって普段と変わらない生活をする」なのだと思う。もし将来すごい金持ちになったら毎日いろんな都市を移動しながらいろんなビジネスホテルを泊まり歩いてみたい。

でもビジネスホテルに泊まるのは好きだけど、同じ部屋に続けて2泊したいとはあまり思わない。せっかく日常から逃れて新しい場所にきたのに、2泊目に突入するともう部屋の新鮮さが腐り始めて、空間が日常に侵されていく気がするからだ。ビジネスホテルは1泊に限る。ずっと部屋でのんびりし続ける場所としては、やっぱりちょっと狭いし。


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しかし、家にいてもビジネスホテルにいても一人で部屋にこもっている時に思うのは、「自分は20年前と何も変わってないな」ということだ。中学生や高校生の頃、別にひきこもりではなく学校には行ってたけど、友達もいなくて部活もせず学校が終わるとすぐに帰宅して、ずっと自分の部屋でひたすら本を読んだりゲームをしたりしているのが好きだった。その頃の生活と今の生活はほとんど変わらない。変わったのは、中学生の頃は部屋にあったのはスーパーファミコンと週刊ジャンプと筒井康隆の小説だったけど、30代の今はそれがプレイステーション3とiPhoneとインターネットに変わっただけだ。人間は年を取っても本質的には変わらないものだと思う。

一つ変わったことがあるとすれば「外の世界に期待をしなくなった」ということかもしれない。10代の頃は部屋にこもりつつも、なんか外の世界に対する焦りや期待や憧れがあった。「このままじゃだめだ」とか「外にはもっと面白いものがあるんじゃないか」という気持ちがあった。

その頃はまだ、世界はこんなにつまらないものであるはずがない、冴えない自分の人生を劇的に変えてくれるものがどこかにあると信じていた。今の自分がたまたま持っていないだけど、その「何か」を手に入れればもっとうまく、もっと楽しく生きられるはずだと思っていた。

かといって「リア充を目指す」とか「学校を辞める」とか積極的に行動して自分の状況を変えようというほどアクティブじゃなかった僕は、何となく受動的に、だるそうな顔をしながら学校に通って、真面目に勉強するふりをしながら、頭の中でぼんやりと、高校に行けば何かが変わるはずだ、大学に行けば何かが変わるはずだ、一人暮らしをすれば何かが変わるはずだ、楽器が弾けるようになれば何かが変わるはずだ、海外に行けば何かが変わるはずだ、恋人ができれば何かが変わるはずだ、などとひたすら空想し続けていた。

実際は結局のところ、そのあたりの憧れていたものを実際に手に入れても、世界も自分も大して変わらなかった。人生を劇的に変えてくれる「何か」なんて存在しなかった。まあそういうものだ。

やっぱり十代の頃なんかは無駄にエネルギーが余ってる上にいろんな経験が足りないから、持ってないものに憧れて期待してしまうんだろう。そのうち年をとると、それなりにいろんな経験をしたせいかそれとも単に体力がなくなってきたせいか、「もっとなんかやらなきゃ、あれをすれば人生が劇的に変わるかもしれない」みたいな焦りや期待はなくなってきて、「何をやってもどこに行っても大して変わらないし、まあ俺は大体こんなもんだよね」という感じで落ち着いてしまう。

結局、自分が欲しいものは最初から全て小さい部屋の中にあった。外に何かを求める必要はない。

ただ、同じ空間にずっといると飽きてしまったりするから、ビジネスホテルに泊まるみたいにときどきちょっとだけ環境を変えてやって、何かちょっと世界に新鮮味があるような錯覚を自分に与えてやればいいんだろう。大体世界に画期的な変化なんてほとんど起こらなくて、ほとんどは自分が少し世界の見方を変えることで何かが変わったような気がするだけだ。

人生なんていろいろあるようで結局そんなもんで、狭い範囲を行ったり来たりしながら同じことを繰り返して、体力が余ったら適当に消耗させて、たまに気分を変えるために違うことをしてなんかちょっと新しいことをやった気分になって、そんなサイクルを何回も何回も何回も何回も繰り返しているうちに、そのうちお迎えが来て死ぬのだろう。人生だなあ。

 なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす  前川佐美雄

なぜビジネスホテルは、一泊四千円でやっていけるのか(祥伝社新書295)

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