私に重要なものは、身体と経験と友人で、それがなければ、脳味噌の出番なんかないのである。身体とは「思考の基盤」で、経験とは「たくわえられた思考のデータ」で、友人とは「思考の結果を検証するもの」である。身体と経験と友人の使いようが、「わからない」を「方法」にする――結論とはこればかりである。
身体とは知性するものである。脳は、「わからない」という不快を排除するが、身体という鈍感な知性の基盤は、「わかんないもんはわかんないでしょうがないじゃん」と、平気でこれを許容してしまう。であればこそ、身体は知性を可能にするのである。
「わからない」は身体に宿る。これを宿らせたままだと、「無能」とか「不器用」としか言われない。それはサナギの状態だから仕方ない。脳の役割があるのだとしたら、そのサナギになってしまった身体を羽化させることだけである。
サナギを羽化させるために脳がするべきことを、私は一つだけ知っている。「自分の無能を認めて許せよ」――ただこればかりである。
- 作者: 橋本治
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