phaの日記

パーティーは終わった

ニートは自炊くらいするべきなのか



ここ3週間くらいはだるくて何もする気がしないことが多くて、食べたいものも思いつかないし、家にいるのもうんざりするけど行きたい場所もなくて、遠くに行くのもだるいので家の近所の路上でよく座り込んで風景を眺めたりしていて、早くもうちょっと涼しい季節になってほしい。

暑くてうまく眠れないのがよくないと思う。豆腐ばかり食べてる。サラダ用ドレッシングを何種類か買ってきて順番に冷奴にかけて食べるとわりと飽きない。

大体僕は春夏秋冬とか雨とか晴れとか気圧とかに体調や精神状態がすごく左右されて、冬とか夏とかあと雨の日とかはひたすらだるくて何もしたくなくなってしまうので安定稼働をすることができず、世間の他の人は僕ほどそういうのに左右されていないように見えるんだけど、そういう自分のコンディションの不安定さが生き方や物の考え方に根本的に影響しているような気がする。一年のうちで調子がいいのは春の3ヶ月くらいと秋の2ヶ月半くらいだ。冬のない国に行きたい。

最近いろんな人にいろいろ言及されたりして、なんか反応したりしたほうがいいんだろうなあと思いつつも気力がなくて、とりあえずブクマするくらいになってるけど(→本文「ニートの歩き方」を検索(人気順) - はてなブックマーク)、暑いし、なんとなく思ったことを少しでも書いておこう。

本で「自炊はニートのたしなみ」みたいなことを書いたんだけど、僕が働くのがだるいように自炊がだるくて仕方がないって人もいるだろう。そのへんすごく悩ましくて、自炊する代わりに働けたら問題ないんだけど、働くのもできないし自炊もできない人ってのもいて、僕は自分が自炊はわりと好きなほうな人間なので「うまく働けないならお金を手間で補って自炊くらいするべきだろう」って思っちゃったりするんだけど、自炊も仕事もできない人はできない。

できない人に「自炊なんて簡単だから、誰でもできるから」って言うのは、それはそのまま僕に向かって「働くのなんて真面目にやってれば誰でもできるから、頑張れ」って言ってた人と同じで、自分にとっての当然を無神経に他人にも押し付けてることになってしまう。それは嫌だ。

だから「これをするべき」とかあんまり言いたくないんだけど、でも「みんな好きにやったらいいよ」だけじゃどうにもならない場合っていうのもあって。どうしようもなくどうにもなんなくてやばい人は無理矢理にでも価値観とか技術体系とか人生の方向性とか押し付けてなんとかしてやったほうがいいのかもしれない。何かの強制とかが外部からないと人間はなかなか変化しないし。でも強引なことはしたくない(しそんなに濃く人と関わるエネルギーもない)、というのでよく悩みますね……*1

カメラロール-363