自分の知的枠組みの解体再構築を喜ぶのは、ポストモダニストが言うように、エゴサントリックな知的秩序を自己審問することが知的=倫理的だからではない。
単に「それが楽しいから」である。
だから、私が若い人の成熟度を判定するときは、「その人がそれまで聞いたことのない種類の言葉」を聞いたときに「耳をふさぐ」か「耳を開くか」その瞬間的な反応を見る。
「知らないことば」にふれたとき「思わず微笑んでしまう」かどうかを見るだけで成熟度の判定には足りるのである。
内田樹の研究室: 微熱の中で
こういうのが俺には足りないな。