phaの日記

パーティーは終わった



ちょうど、バイクでコーナーに入るときに、クリッピングポイントをすこっと抜けて、コーナー出口で立ち上がる「感じ」を、コーナーに入るより「前に」体感できるとうまくコーナリングできるし、その「感じ」がつかめないで、リアルタイムのままコーナーに入ってしまうと、けっこうじたばたしてしまうということがありますよね。

それどころか、うっかりコーナーに入る前に、「ずるっと」リアタイヤが滑るときの「体感」なんかを想像したりすると、とんでもないことが起きてしまうということも、ぼくは経験しています。きっと平川君にも経験があると思います。

つまり、「未来の体感」がくっきりしていると、想像したとおりの状態が現出するように、身体の無数のパーツが無意識的に運動してしまう、ということだと思うんです。
東京ファイティングキッズ  内田樹から平川克美へ(2003年10月19日)

 これは多分音楽でも同じだな。メロディやリズムを弾くときに、音のひとつひとつをその場で意識していたらぎこちなくなるだけで、弾く前にそれがどんなフレーズになるかを想像できていないといけない。これが時間芸術か。それを「くっきり」想像できるようになるには何が必要か。コンセントレーションか。
 音楽の場合、うまく合奏するには、その想像する像を、自分の音だけではなくて、他の人の音も込みで想像しなくちゃいけないらしいということに、メトロノームと一緒に練習していて気づいた。もっとメトロノームと仲良くならなくちゃ、と思った。
 この後に書いてある体感を送信することができる人の話も面白かった。