phaの日記

パーティーは終わった

人が怖いからシェアハウスに住む



もう今年で4年間くらいシェアハウスやゲストハウスに住み続けている。一人暮らしではなくそういった共同生活的な家に住んでいると「人との交流が好きなんですね」と言われたりするのだが、実際は人と触れ合うのはそんなに好きではないし、むしろ苦手だ。基本的に単独行動が好きだし、人の集まっている場所に2、3時間もいると調子を崩してすぐに帰りたくなるし(そのせいで学校や会社には適応できなかった)、たくさん人と話すとそのあと2日くらい寝込むし、自分には一般的にみんな持っているような協調性とか社会性とかがかなり欠けていると思っている。では何故シェアハウスに住んでいるかというと、それは多分「人と直接コミュニケーションせずに孤独にならない」ということを目指しているからだ。


誰かに対して「会おう」とか「遊ぼう」とか自分から働きかけるのが昔から苦手だ。他人と会っていても何か喋ってコミュニケーションし続けなきゃいけないような雰囲気だとしんどい。でもかといって、全く人に会わず毎日一人で過ごしているのも寂しい。そこでシェアハウスですよ。

シェアハウスだと、誰かに声をかけたり誘ったりしなくても何となく人がいる状況が常にある。実際にギークハウス東日本橋のリビングには、住人やよく来る常連など常に何人かの人間がだらだらとこたつで過ごしていて、各自適当に漫画、ゲーム、インターネット、食事、睡眠、酒などにふけっている。気が向けば喋ったりもするけれど別に頑張ってコミュニケーションしなくてもいい。リビングで黙って一人でネットしてたり漫画を読んだりしててもいいし、一人になりたくなったらいつでもすぐに自分の部屋に帰ればいい。大体僕は昔から「人が集まってる場所でちょっと離れたところからそれを眺めている」みたいなポジションが好きなので、シェアハウスのこれくらいの距離感がちょうどいい。


みんながそれぞれ好きなことをしているけれど何となく同じ雰囲気を共有していて、各自が好きなことをしたり気が向いたらときどき会話をしたりするというのは、Twitterのタイムラインに似ているかもしれない。Twitterのような、密接すぎずゆるく繋がっているような距離感を現実空間でも実現したい。

対人能力がなくても孤独にならないようにしたいんだよな。そのためには個人のコミュニケーション能力に頼るのではなく、例えばギークハウスのようなシェアハウスを作って「人が遊びに来やすい土地に家を作る」「人が遊びに来やすいような雰囲気を作る」「リビングに人が集まりやすいような部屋の配置にする」といった構造を用意するというように、システム的な解決をしたい。僕は特定の個人のパーソナリティや思想や熱意によって実現されているものよりも、凡庸な人間でもやる気のない人間でもその仕組みの中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような構造に興味がある。人は環境に規定されるという考え方が好きだ。中心人物の存在感に依存するのではなく、中心人物が急に死んでもシステムは変わらず回り続けるようなのがいい。


あと、ゲストハウスに住んでいるのは無職でふらふらしてても住めるからというのもある。日本の賃貸システムだと普通に部屋を借りようとすると家族や上司に保証人を頼む必要があったり、そもそも職業が無職だと部屋を貸してくれない大家がいたりするけれど、ゲストハウスだとそういった制約はなくてデポジットを一ヶ月分預けるだけで住めるのが無職にはありがたい。

家族や会社に属さずに一人でふらふらとしてても、インターネットやゲストハウスをうまく利用すればゆるい繋がりの中で孤独にならずに生きていける今の世の中はいい世の中だと思う。例えば人間力のある人なら家族や会社に頼れなくてたった一人でも知らない人とちゃんとコミュニケーションして仲良くなって信頼を勝ち得て何とかやっていけるのかもしれないが、僕は人と交渉するのが嫌なのでシステムを頼る。コンビニで一言も口を利かなくても買い物ができるように全ての物が手に入ればいい。部屋とかも自動販売機で売っていればいいのに。

無縁社会

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東京シェア生活

東京シェア生活


プログラマやネット好きの人、ネットが生活に欠かせない人が集まってシェアハウスに住むというギークハウスプロジェクトを提唱しています。現在ギークハウス文京護国寺ギークハウス水道橋で住人を募集中です。