phaの日記

パーティーは終わった

世間のルールに背を向けろ



僕が出演したオトナへのトビラ第4夜、明日8月4日の正午から再放送だそうです。見逃した方はNHKオンデマンドでネットからも見れるみたいです。

本放送を見ましたが、いい感じで僕の生き方や主張を分かりやすくまとめて紹介してくださっていたと思います。それで、番組を見て思ったこととか寄せられた感想とか、あと収録のときに喋ったけど使われなかった部分などもあるので、ちょっとブログでも補足的に書いてみようかと思います。番組自体は30分でしたが、番組の収録は3日間にわたって一日5、6時間くらい撮ったので使われていない部分も結構あるんだよね。


番組を見た人のコメントで多かったのが「京大を出たのにふらふらしてるなんてもったいない」とか「若いうちはいいが50代とかになってお金のない生活はキツイですよ」というものだったんだけど、確かに言っていることも分かるけど、それでも今の生活が僕の人生においてベストだと思ってるんですよね。こうしかできなかったっていうか、ここにしか来れなかったというか。

確かに今の生活は貧乏で不安定で何の保証もないし、お金のない50代よりもお金のある50代のほうがそりゃ当然いいと思うけど、ある程度安定した50代を得るために20代30代を地獄のような思いをして耐えることはできないっていうか、そもそも35とか40とかでコロッと死ぬかもしれないし(先週レイハラカミが脳卒中で40で死んだのは結構ショックだった。人は突然死ぬ)。とにかく僕には会社に勤めたり毎日勤勉に働くということが無理だから、それは仕方ないのです。


人によってそれぞれ適性が違うというか、ある人には当たり前にできることが他の人には全くできなかったりする。それはなんでなんだろう、努力が足りないとかコツを知らないとかそういうことなのか? 思えばそんなことばかりに悩んでいた10代20代だった気がする。結局僕が30歳前後で辿り着いたのは「人はそれぞれ性質が違うし向いている場所も違う」「世間で一般的とされているルールや生き方は、それが特に苦痛でない多数派の人向けのルールに過ぎない」「努力が足りないのではなく適性が違うということを考えるべき」「世間で一般的なルールに従わなくても、なんとか死なずに生きてて、たまに何か楽しいことがあればそれでいいんじゃないの」という考えだった。

世間で模範的とされている生き方、例えば「ちゃんと学校に行ってちゃんと就職して真面目に働いてしっかりとした家庭を作る」みたいなのに違和感を覚えない人は別にそれでいいと思う。人はそれぞれ幸せになれる場所が違うし、そのルートで幸せに生きられる人はそこで生きたらいい。別に皮肉とかじゃなくそれはそれで幸せで良いことだと思う。僕が何か言いたいのは、そういう世間で模範的とされている生き方にどうしても馴染めないし適応できないけど、「それって自分が悪いのかな」とか「自分の努力が足りないのかな」とか悩んでいる人に対してだ。そういう人には「別にどんな生き方でも何とか生きられてたらそれでいいんじゃないの、自殺したり人を殺したりしなきゃ」と言ってあげたい。


例えば人によって適性が違うという例だけど、僕は映画が全く見れない。僕は小説も好きだし漫画も好きだし音楽も好きなんだけど、映画だけは見れないので、そういうカルチャー系の話をしていても映画の話になると全く入れなくて時々寂しい思いをする。何故見れないのかというと、一時間半とか二時間じっと座って同じ画面をずっと見続けるということに精神や肉体が耐えられないのだ。大体40分くらいで限界が来て、それがどんなに面白い映画だったとしても集中力がなくなって飽きてしまいインターネットを見たくなったり、体がムズムズしてきてそのへんを歩き回ったり無茶苦茶に踊ったりしたくなってしまう。

別に映画だったら趣味の範疇だから見ても見なくても済むものだけど、同じ理由で小学校、中学校、高校の授業もずっと苦痛だった。授業時間中じっと同じ姿勢で座って話を聴き続けるというのが苦しくて仕方なくて、大体の場合、ほとんど授業を聞かずに寝ていたり、机の下に隠して小説を読んでいたりした。なぜクラスの他の人達は平然と授業を受けてられるのか不思議だった。僕の何が悪いんだろうと悩んだりもした。大学に入ると授業中好きなことやっててもあんまり怒られないし授業にそんなに出なくても何とかなったのでだいぶ楽になったけど。

あと、人とずっと一緒にいるのもいるだけで苦痛だ。会話をしてても40分くらいすると会話エネルギーが切れて喋る気力が突然なくなるし、特に会話をしていなくても2時間も人と一緒の空間にいるとストレスが凄く溜まって一人きりの空間にこもりたくなる。会社に勤めていたときも、仕事自体は大してつらくなかったのだけど、一日9時間とか10時間、オフィスという複数の人間がいるスペースに軟禁されている状態なのがとても苦痛だった。それ仕事を辞めた理由の一つだ。


でも、「映画を観る」とか「授業を受ける」とか「人と何時間も話す」とか「人と一日中同じ空間にいる」とか、そういうのって苦しくない人にとっては全然苦しくない普通の行為なんだよね。世間一般では、普通の人はそういうことは当たり前にこなせるということになっている。そうすると「ちゃんと学校に行ってちゃんと就職して真面目に働いてしっかりとした家庭を作る」という世間で模範的とされているルートを辿ろうとする限り、他の人は息をするように普通にこなしていることが僕にとってはとてもキツいハードルになっているという条件なわけで、「これはそんな奴らと同じフィールドで闘っても勝てるわけがない、僕はそのレールから外れるべきだ」という考えに至ったのだった。

それでも仕事を辞めるにあたっては「なんかみんな正社員で勤めてたほうがいいっていうしやっぱり勤めていたほうがいいのかな……」とか「会社勤めずに生きるのはやっぱり難しいんだろうか……」とかいう迷いはずっとあって逡巡していたのだけど、番組でも紹介されたように、タイのバンコクに一年住んだことでそういう「模範的な生き方」は日本ローカルのルールに過ぎないんだなって思ったことや、あとインターネットに深くコミットすることで会社とかなくても何とか生きていけそうな自信がついたりとか、そういうことがあって今に至るという感じです。インターネットを活用した生き方についてはまた改めてブログに書く予定(仮題「インターネットの恵みで生きる」)。


僕ももう32でおっさんなので年長者ぶって若い人に言いたいことがあるとすれば「無理をしない」「悪い場所からは早めに逃げろ」ってことかなあ。物事がうまくいかないのは自分の努力が足りないからじゃなくて、その場所が自分に合ってないからかもしれない、っていうのを検討してみてもいいかもしれない。大体僕は努力をしたりつらい思いをして頑張って何かを成し遂げるってのをあまり信じていない。何か偉大なことをやってる人って、大体の場合、歯を食いしばって頑張ってるんじゃなくて、楽しそうにそれをやっているものだから。僕が京大に合格したときだって、友達もいないしすることがないから受験勉強をゲーム感覚で楽しんでやってたら受かったって感じだし。僕の組んだプログラムで好評を博したものも、別に頑張った意識はなくてただただ一人で楽しんで作っていただけだし。うまくいかないとか合わないと思ったら逃げるのも大事。自分の「これは嫌だ」って感覚や直感を押し殺さないようにしよう。嫌なことに関しては精神より身体のほうが敏感なことも多いので、身体感覚に気をつけるのもいいと思う。例えば体を壊すというのは体からの貴重なシグナルなので、しょっちゅう体調を崩しているときは自分の何かを見直してみるべき。


そして自分に無理のない生き方を探すためには選択肢は多い方が良い。なので生き方に迷っている人はいろんなところに行ってみたりいろんな人に会ってみたり、いろんなことを試してみるべきだと思う。正直30歳くらいまではそういう自分探し期間でいいと思う。僕は自分の今の状況を気に入っているけれど、今みたいなふらふらした生き方に落ち着いた(?)のは28からだし、それまでは結構迷走していた。とりあえず大学に入ったり、特にあてもなく休学したり、とりあえず就職してみたり、アジアでバックパッカーやってみたり外国に住んでみたり、詩を書いたり短歌を作ったり楽器を練習したり、カフェの手伝いをしたりヨガをやったり合気道を習ったりプログラミングを独学で始めたりとか、支離滅裂に興味の赴くままにいろんなことに手を出して試行錯誤しながらようやく今のところに落ち着いた感がある。なので自分の今いる状況に違和感がある人は、とりあえずいろんなことを試してみるといいんじゃないだろうか。そのうちどこかでたまたま自分にとって居心地のいい場所が見つかるかもしれない。もちろん見つからないかもしれないし、居心地が悪いままそのまま年を取って死ぬだけかもしれないけれど。まあどうせ死ぬんだから生きているうちにいろいろ試してみないと損ですよ。どうせ人間の死亡率は100%なんだし。

人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)

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Lust

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