phaの日記

パーティーは終わった

中島裕介第二歌集「oval/untitleds」の栞文を書きました



歌集 oval/untitleds

歌集 oval/untitleds

大学の短歌サークル時代の友人の中島裕介くん(id:theart)が歌集を出すということで栞文を書かせていただきました。栞文というのは本に挟まれている薄い冊子にその本の解説文や紹介文が書かれているというもので、歌集には付けることがよくあります。以下に、僕が書いた栞文の全文を掲載します。

日常に生きる幻視者 pha  


  楕円から解き放たれた定点の集合 僕らの世界であった


 中島裕介の歌を読むときにいつも感じることは、現実の世界から幻想の世界へ連れ去られたいという欲望と、それが不可能であるという諦めだ。ovalを書名に含むこの歌集は「平面上のある2定点からの距離の和が一定となるような点の集合から作られる曲線である」という楕円の定義から幕を開けるが(この二つの定点とは「現実」と「幻想」のことだと読んで良いものだろうか)、この定義や、「あった」という過去形で終わる冒頭で引用した歌からは、「一定の範囲から逃れることができない」という閉塞感を強く感じる。
 中島の第一歌集「Starving Stargazer」は「横書き」「二ヶ国語の並列」「音の連鎖や同音異義語の多用」などの特徴を持つ言葉の迷宮のような本だったが、今作はそれに比べると一般的な作りで歌の背後に生活者としての詠み手の姿が見えやすい。しかしその日常の中でも中島はやはり幻想を見ようとする。例えば旧約聖書のモチーフを用いた次のような歌には日常の風景の中に非現実を幻視しようとする脱出願望が分かりやすく表れている。


  日に焼けている週刊誌の群れのうち一冊は出エジプト記になれ
  つい、乳と蜜の流れる土地としてパンケーキを作り過ぎてしまった


 だが中島の歌は幻想を求めつつもそのために具体的なアクションを起こす内容のものは少ない。「出エジプト記になれ」と願ったり非日常的な音韻の連鎖を現実を異化する呪文として呟くだけだ。中島の歌は幻想に憧れつつも現実から抜け出せずに遠くに輝く光をただ見つめる者(Stargazer)の歌で、その屈折具合に僕は魅力を感じる。また今作ではごく日常的な内容の秀歌も多く、幻想から日常への回帰という物語を思わせるのも興味深い。


  姿見に奪われてゆく体温の行方を思う 目礼ひとつ

もうちょい付け加えてみると、中島くんは背が高くて、とても立派な体格をしてるんですね。さらに、彼は演劇をやってて、全身を白塗りにして舞台で踊ったりなんかもしていた。だけど、そんなに身体的なことをしていたにもかかわらず、「にもかかわらず」なのか「だからこそ」なのか分からないけど、「彼の歌には身体性が少ない」というのがとても面白いと思った。彼の歌に出てくる動詞は、何かを願ったり思ったり囁いたり、というようなものが多くて、身体的な動きが出てきたとしても、撫でたり目礼したり皮を剥いたりするといった静かでささやかな動作ばかりで、身体をがーって動かして大きなアクションを取るような内容のものはあまりない。あくまで身体的な面では控えめだ。そこが面白いと思う。

最後に、「oval/untitleds」から僕が好きな歌を引用してみます。

忘れたいことがあるからシャンプーの雫を人差し指で拭った


読み終えた文庫本から大きめの付箋を一枚剥がすように朝


ニフラム!」と囁けば夏 笑ってる奴だけ船に乗せてやろうか


セックスと自衛の隙にただひとつ愛が生じるならば嘉せよ


船長は船内にあるものが死亡したときこれを水葬に付す


恋人の黄砂を洗い落とすとき泡は足裏を伝い行きたり


美術館の光が撓む この春の屈折率は高いのだろう


眼底に網膜が咲く時期が来て僕たちの色は霞むばかりだ


白菜の芯を切る音 蓮舫は遠隔操作されてるだろう


見る前に跳ぶようなやつを信じない 額に当たる陽の強くあれ


トレイ持つ右の手首に浮かぶ腱の陰深き朝 カフェラテふたつ


こんにちは(ああ、トールソイラテの人)ええと、今日もトールソイラテ

Starving Stargazer

Starving Stargazer

もしニーチェが短歌を詠んだら

もしニーチェが短歌を詠んだら