phaの日記

なんとかなりますように

面白かった本2023

今年もなんとか年末までたどり着きましたね。毎年書いている今年面白かった本を紹介する記事です。
今年は本屋(蟹ブックス)で働き始めたということもあって、今までよりも幅広い本を手に取った一年だったように思います。あと、去年はなぜか短歌くらいしか読めなくなっていたけど、今年はエッセイとかをまた楽しく読めるようになってきました。うれしい。エッセイを書く気力もわりと戻ってきたので、2024年はまたエッセイ本を出したいなと思っています。まあ、できる範囲でやっていきたいですね。無理せず、死なないように。

マンガ

鶴崎いづみ『私のアルバイト放浪記』(観察と編集)

「私にとってアルバイトは、ふだん垣間見ることのない社会のいろんな側面を見学する、フィールドワークのような意味をもっていた。」
リペアスタッフ、頭部モデル、お掃除スタッフ、水道検針員など、美大を卒業後、作者が十五以上のさまざまなアルバイトを転々とした話を描いたエッセイマンガ。シンプルで淡々とした絵だけど、つい読みふけってしまう魅力がある。
読み味としては、マンガというよりも、文章のエッセイに絵がついていて読みやすくなっている、という感じのほうが近いかも。

大山海『令和元年のえずくろしい』(リイド社)

「地獄のシェアハウスで起きる最悪の群像劇」というキャッチコピーの通り、盗難が起きたり、そこらへんでセックスしていたり、という最悪のシェアハウスの話。起こる事件のひどさや、家賃などのシステムがリアルで、かなり実在のシェアハウスに取材をして描いたのだろうと思う。
生きづらさと過剰なエネルギーを抱えた若者たちが一つの空間に集まって、鬱屈や鬱憤の発散場所がないまま、内部でぐちゃぐちゃになっていく閉塞感がとてもよく描けていて、読後感の悪さも含めて、よかった。

大白小蟹『うみべのストーブ』(リイド社)

ストーブが喋ったり、体が透明になったり、日常の中で少し不思議な現象が起きる短編集。
生きていく中で、何かを失ってしまったり、失う予感を感じたりして、どうしようもなく感情が高まって涙が溢れ出すような、そんな一瞬を伝えるのがとても上手くて、ぐっと感情を揺さぶられてしまう。一篇ごとに最後に付けられている短歌もいい。

坂上暁仁『神田ごくら町職人ばなし』(リイド社)

桶職人、刀鍛冶、紺屋、畳刺し、左官など、江戸の職人が仕事をしている様子を書くマンガ。とにかく画力がすごくて、絵に見入ってしまう。綿密に描かれた桶や刀や畳などを見ているだけで気持ちよくて、ページをめくるのが心地よい。まるで読むドラッグのようだ。
物をひたすら丁寧に描いているマンガ好きなんですよね。古くは鉄工所マンガの『ナッちゃん』とか。

岩波れんじ『コーポ・ア・コーポ』(ジーオーティー)

全6巻完結。大阪の安アパートに住んでいる人たちの群像劇、人間模様、という感じの話。住んでいる人は全員訳ありな感じで、それぞれディープな過去を背負っていたりするのだけど、しんどい境遇を悲劇的に描いたり浸ったりするのではなく、人生とか社会というのはそんなものだから、なんとかできるだけニコニコしながらやっていこう、というタフさを軽い感じで描いているのがとてもいい。アングラ漫画的な泥臭さがありつつ、今っぽい軽さもある作風。
出てくる人たちのリアルさ、会話や境遇や生活感の生々しさを描くのが異常に上手い。登場人物がそれぞれ人生を持って生きている感じがある。

新井英樹『SPUNK - スパンク!』(KADOKAWA)

SMの女王様が主人公のマンガなのだけど、なんだか光に溢れていてまぶしかった。生の肯定だった。
同じ作者の作品では『SUGAR』の石川凛なんかもまぶしかったけど、彼は孤独だった。『SPUNK』の世界は光に溢れつつ、人との繋がりや信頼がある。新井英樹作品では、暴力や殺人やセックスが出てくることが多かったけれど、『SPUNK』ではSMをテーマとすることで、殺伐とした暴力やセックスなどを出さずに、物語の強度を出すことに成功しているように思う。

住吉九『ハイパーインフレーション』(集英社)

全6巻完結。キャラ、ギャグ、博学、頭脳戦、それらの要素の全部盛り感とスピード感がすごくて、この楽しいジェットコースターにずっと乗り続けていたい、と思わされる読書体験だった。他の作家ならこの2倍か3倍の長さをかけてやるであろう頭脳戦を、ぎゅっと圧縮してやっている感じ。全6巻だけど15巻くらいを読んだ気分になれてお得。いろんな要素が全部盛りという点では、読み味は『ゴールデンカムイ』に近いと思った。
改めて最初から読み返して思ったのは、最初の数話で主要キャラが出揃ってキャラも固まっているのがすごい。ラストに到るまで話があまりぶれていないので、かなり準備してから始めて、この長さで終わるということも決めていたんじゃないだろうか。
金の亡者で「大きな赤ちゃん」と呼ばれる悪徳商人のグレシャムが本当にいいキャラなんだよなあ。




エッセイなど

古賀及子『ちょっと踊ったりすぐにかけ出す』(素粒社)

子どもたちとの暮らしを描いた日記本なのだけど、やたらと面白い。
面白さが濃い、というか退屈な文章がなくて、次々とテンポよく面白が繰り出されていく。これはデイリーポータルZという面白の激戦区で鍛えられてきた古賀さんならではなのだろうか。ネットだとすぐに読者が離脱するから、これくらいの面白さの密度を求められるのか、と思うとちょっと恐怖を感じるほど。紙の本からは出て来ない文章な気がした。
去年、日記祭というイベントで古賀さんと対談したのだけど、古賀さんは日記を「天に捧げるもの」として書いている、という話が面白かった。「神さま見てますか! 人間はこんなに楽しく生きていますよ! どうぞお納めください!」という感じらしい。


ひらいめぐみ『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)

20代で転職を6回経験したという著者によるエッセイ本。現代社会で生きていくことの大変さや切実さも感じつつも、そこまでシリアスにならずに、最終的にはなんだか楽しい印象が残る書きっぷりがいい。文章がなんだか異常に読みやすくてスムーズに頭に入ってくる。
「体調が悪くなるような会社は辞める」という健全さが頼もしい。仕事の内容よりも、会社の近くに川があると昼休みにのびのびできるのでとてもいい、ということを書いた文章のほうがいきいきとしているのがよかった。倉庫の仕事は空間が広いから気持ちよくて、川のそばにある倉庫で働いているときが最高だった、というくだりを読んで、川のそばの倉庫で働いてみたくなった。


絶対に終電を逃さない女『シティガール未満』(柏書房)

地方から上京してきた著者が、東京のいろんな街について書いていくエッセイ。全体的にテンションが低くて、そんなに大きな夢などもなく、キラキラしたところが全くないのが読んでいて落ち着く。体温が低めではあるけれど、一歩一歩前に進んでいく前向きさはあって、読後感もいい。

坂口恭平『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』(リトル・モア)

同い年というせいもあるのだろうか、坂口恭平のことはなんとなくずっと気になっている。
本もたくさん出しているけれど、ギターを弾いて歌も歌うし、絵も描きまくっている。なんだか好きなように好きなことだけやっている感じがして、うらやましく思うのだけど、その一方でひどい躁鬱に悩まされたりもしているらしい。
そんな坂口恭平が、自分自身について語った本。思考がドライブする感じが伝わってくる。坂口恭平は生きることや考えることが、すべて歌になっているな、と感じた。「やりたくないことをやっていると鬱になる。だから健康のためにやりたいことだけをやっている」という記述を読んで、やっぱりそうだよな、と思った。

川井俊夫『金は払う、冒険は愉快だ』(素粒社)

「俺はこの町で一番頭が悪く、なんのコネやツテもなく、やる気も金もないクソみたいな道具屋だ」
古道具屋をやっている著者による私小説とのことで、とにかく口が悪いのだけど、その荒っぽい口調が気持ちいい。舞城王太郎の『煙か土か食い物』とかを思い出す文体。曖昧な爺さんや婆さんがゴミに埋もれて住んでいて、そういうゴミ屋敷を片付けてずっと「クソが」とか言いながら、かろうじて買い取れるものを拾い出してなんとかしてやる、みたいな日々の話が集められている。

大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』(リトル・モア)

詩人の大崎清夏さんが書いた、エッセイ、小説、旅行記などが集められている。
とにかく美しい文章を読みたい人にすすめたい。文章のすみずみまで細やかな神経が張りめぐらされていて、張り詰めた感じもあるのだけど、それでいて包み込むような優しさもあって、いつまでもこの文章の中に沈んでいたくなる。
詩集の『踊る自由』も読んだけどそっちもよかった。

 

『鬱の本』(点滅社)

「鬱のときに寄り添ってくれる本」「読まなくてもいい本」というコンセプトのエッセイ集。84人が「鬱」と「本」というテーマで短いエッセイを書いている。
全てのエッセイは1000字程度で、見開き2ページで完結しているので、気力がないときでも読みやすい。カバーなしのハードカバーの装丁も、触り心地がよくて、文章が読めないときでも手に持ってみたくなる。
全員が鬱や憂鬱について書いているので、とにかくこの本の全ての文章が優しい。僕もエッセイを寄稿しています。


小説

川上未映子『黄色い家』(中央公論新社)

黄色い家

黄色い家

Amazon

普通に生きていた少女が家出をして、ヤバいシェアハウスに住んで、組織的犯罪に手を染めていくというクライムノベル的な話。そういったエンタメ的な話を、純文学的な感性を書ける作家が書いているので、話の展開が面白いのはもちろんのこと、ちょっとした本筋以外のエピソードの描写などもぐっときていい。90年代が舞台。スナックでX JAPANを歌うシーンとか好き。

シェアハウスのリーダー的な役目をやる主人公に共感した。他のメンバーはあまり行動力がない感じで、状況がやばくても自分自身で道を切り開いていくことができない。だから、自分がみんなのためになんとかしないといけない、と思って、主人公はみんながうまくいくようにいろいろがんばる。だけど、自分はみんなのためにいろいろやっているにも関わらず、他の人たちはぼーっとテレビとかを見て笑っていたりして、そういうのに苛ついたりする、というシーンがある。
僕もシェアハウスをやっているときそういう気持ちだったことがあった。みんながちょっとずつこれをこうやってくれればいい感じになるのに、なんで誰もやってくれないんだろう、とか。でもそういうのも自分が勝手にひとりで暴走しているだけなんだよな。
著者のトークイベントを聴いたのだけど、貧困や犯罪を書いているんだけど、社会問題を書きたいわけじゃなくて、世の中にはこういう人がいて、生きている、ということをただ書きたかった、という話がよかった。あと、物語を書くときにイノセンスを最も重要な衝動にしている、という話が印象に残った。『黄色い家』の主人公の花もそうだし、『すべて真夜中の恋人たち』の主人公もそうだったな。

realsound.jp


杉井光『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮社)

「電子書籍化不可能」という売り文句がついていて、読む前から内容をなんとなく想像していたのだけど、その想像を超えてくる仕掛けがあってすごかった。確かにこれは、今までにないやつかも。文庫オリジナルで20万部売れているらしい。すごい。
読む前に僕が思い浮かべていたのは、Aというミステリ作家の『S』という作品で、おそらくこの作者もその影響を受けているのだけど、『S』よりもさらに徹底していて、「ここまでやるか」という感じだった。『S』ではたしかそんなに大したことなかった、トリックと動機と物語がうまく関連しているのもいい。


小谷野敦『蛍日和』(幻戯書房)

妻のことを書いた私小説「蛍日和」を含む全4篇。淡々と日常の出来事や考えたことを綴っていくだけで、何か大きな事件が起こるわけでもなく、日常エッセイのようにも思える内容なのだけど、なんだか面白くてするする読んでしまう。だけど、なぜ面白いか説明しにくい。ちゃんと事件が起こったりストーリーがあったりする、いかにも小説らしいものが好きな人とは相性が悪そう。小説とエッセイの違いとはなんだろう、ということを考えてしまう。普段、小説とはこういうものだ、とわれわれが考えているものの幅は、必要以上に狭くなっているんじゃないだろうか。
昨今は文学フリマとかで、特に事件が起こるわけではない、日常を書いたエッセイとか日記のZINEが流行っている。純文学でハードカバーの本、というパッケージではなく、そういうZINEの文脈とパッケージに持ってきたら意外としっくりくるのでは、と思ったりもする。


歌集

平出奔『了解』(短歌研究社)

了解

了解

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地を這うような歌集だ。人目を気にしてカッコつけたりを全くせず、主観的に「本当に感じたこと」だけに徹底的に寄り添っていて、作者の荒い息遣いが感じ取れそうな歌ばかりが並んでいる、と感じた。この凄みは何なんだろう。

台風がしばらくこない 台風がこなくても思い出せるな 出せる
 
今やってるこれが恋愛だとしたら、あれもそうだったってなっちゃう
 
笑うから笑っていてよ、あの頃の、病んでんね(笑)、みたいな言い方で

 

佐クマサトシ『標準時』(左右社)

不思議な歌集。面白いけれど、何度か読み返さないとうまく理解できない。短歌というゲームにはこんな解法もありますよ、という実験をいろいろ見せられているような気分になる。

クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きというのは嘘だ
 
AならばBでありかつBならばAであるとき あれは彗星?
 
晩年は神秘主義へと陥った僕のほうから伝えておくね

 

枡野浩一・pha・佐藤文香『おやすみ短歌』(実生社)

自分が書いた本だけど、いい本の自信があるので紹介させてください。現代短歌の中から眠りに関する短歌を百首集めて、歌人の枡野浩一、僕、俳人の佐藤文香が、短歌の横に鑑賞文をつけた本です。
短歌って、読み慣れてない人にはどう読んだらいいかわからないことが多いと思うので、「こういうふうに鑑賞すればいいんだ」という文章が添えられているといいな、と昔から思っていました。この本なら、慣れてない人でも読みやすいんじゃないかと思います。
ぱらぱらとどこから読んでも、どこでやめてもいいので、眠る前に読んでほしい本です。装丁は名久井直子さんで、角丸のハードカバーがやさしい手ざわりです。表紙には僕の描いた絵を使ってもらいました。


ノンフィクション

荻上チキ『もう一人、誰かを好きになったとき:ポリアモリーのリアル』(新潮社)

一対一ではなく、複数の人と恋愛関係を持つポリアモリーについて扱った本。荻上チキさんがいろんなポリアモリーの人にインタビューをして、ポリアモリーのさまざまなパターンや、抱えている問題などがまとめられている。
ポリアモリーは、単に「ふしだらだ」とか「不誠実だ」とか扱われてしまいがちだけど、そうではなく、もともとそういう性質を持つ人がいるだけなのだ、ということをきっちりと説明していく。

この本を読んでかなり楽になった気がした。今まで自分自身とポリアモリーをそんなに結びつけて考えたことはなかったのだけど、一対一の関係は閉じた感じがして苦手だ、ということは昔から感じていた。自分は他人に対して独占欲がほとんどないし、独占欲を向けられるのも苦手だった。でもそれは、自分がダメな人間だからそうなのだ、と思っていた。
それでもなんとか頑張って一対一の関係をやってみよう、と思って試したことは何度かある。しかし、大体いつもうまくできなくて相手のことを傷つけてしまって罪悪感を持つだけだった。結局、自分はひとりでいるのが一番合っているのだろう、と最近はずっと諦めていた。
でもこの本を読んで、自分はダメではなく、単に性質が違っただけなのかもしれない、と思った。同性愛の人が異性愛がうまくできないのと同じようなものだったのかもしれない。
ポリアモリーの人は複数の人と特別な親密な関係を持つ、というイメージがあって、僕はそもそも一人とも複数とも特別な親密な関係を持つのが苦手な感じがあって、だからポリアモリーとは違うかも、と思っていたのだけど、でも広義ではポリアモリーの中に入るのかもしれない。
一般的な関係はうまく結べなくても、それでも人となにかの関係を持つことを諦めないでいいのかもしれない、と前向きな気持ちになれる本だった。


鈴木大介『ネット右翼になった父』(講談社)

鈴木大介さんの亡くなった父は、YouTubeのヘイト動画ばかり見るようなネット右翼になってしまっていた。しかし、亡くなったあと丁寧に振り返っていくと、父はそんなに簡単にくくれるものではない複雑さを持ったひとりの人間だった、と気づいていく話。
自分と同世代なので、自分の親世代はこんな感じのところがあるよな、という共感を持って読めた。親としてのロールモデルがないけれど、親としてふるまわなければいけないというプレッシャーはあって、それで不器用に強権的にふるまってしてしまう、みたいな。もっと下の世代だと友達みたいな親子が多いんだろうなと思う。


渡辺努『世界インフレの謎』 (講談社)

今の物価高の原因は、ウクライナの戦争のせいではなく、コロナの頃から始まっていたらしい。コロナにより生産状況などが変化したことによって起こったもののようだ。
日本は90年代なかばから30年くらいずっとデフレだったけど、それは異常で不健全なことで、本当は健全な経済成長を伴う若干のインフレを目指すべきなのだ。
しかしそんなことを言われても、僕の世代はずっとデフレ環境で育ってきたので、そこに最適化してしまって、新しい状況に適応できない気がする。シェアハウスに住んで安いチェーン店でだらだらする、とか、そういう生き方にあまりにも適応しすぎてしまった。新しい時代についていける気がしない……。