phaの日記

なんとかなりますように

面白かった本2019

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毎年まとめているこのコーナー。

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2019年もいろいろ本を読みました。大体本読むくらいしか趣味があまりないんだよな。今年は引っ越しをしたら、新しく住み始めた街が本屋が充実していたので、ついつい本を買っちゃうことが多かった一年でした。

まずはこの本から。

濱野ちひろ『聖なるズー』

開高健ノンフィクション賞を受賞。動物とセックスをする「ズー」の人の団体が世界で唯一ドイツにあって、その団体の人に取材をしたノンフィクション。著者はDVを受けていたことがあって、性的関係についていろんな視点から研究したいと思って、このテーマを選んだそうだ。
人と動物のセックス、そういうのがあることはもちろん知っていたけれど、自分には関係のないものだと思っていたし、なんか気持ち悪いな、というくらいに思っていた。
だけどこの本を読むと、自分はしないけれど、そういうのもありなんじゃないか、という気持ちになった。動物とのセックスがこんなにアクチュアルな問題だとは思わなかった。
ズーの人は動物のことをパートナーと呼ぶ。パートナーになるのは大体が犬で、その次に馬だ(猫は小さすぎてサイズ的に無理)。ズーの人は、決して動物虐待にならないように非常に気を遣っていて、「パートナーがしたいときにしかしない」と言う。犬をパートナーにしてるけれど、相手がしたがらないのでしたことはない、という人もいる。みんなセックスのことばかり気にするけど、本質は相手とどういう関係性を持つかということで、セックスはその一部に過ぎない。
僕も猫を飼っているので、動物との間に精神的な結びつきができるということはわかる。そして、精神的な強い結びつきがあるなら、それがセックスに発展してもおかしくないのかもしれない。ほとんどのセックスが生殖のために行われるわけじゃなく、愛着や愛情を示すために行われているということはみんな知っているとおりだし。
そもそもペットの性というのは、大体今の社会では去勢や避妊をすることで「なかったこと」にして、性を持たない「子ども」としてかわいがっている。だけどそれはすごく野蛮なことじゃないか。動物のありのままを受け入れたいと思うなら、性も含めてケアするべきなんじゃないのだろうか。
動物とのセックスについて「本当にそれは同意があるのか」「本当にそれは対等な関係なのか」などという疑問についても著者は慎重に取材をしていくのだけど、そこを掘り下げていくと、人間同士のセックスだって、本当に同意があるのか、本当に対等な関係なのか、ということはあやふやなことが多いということに気付かされる。
100年後くらいは動物やロボットをパートナーとするのが普通になっていたりするかもしれない、という気持ちにさせられる本だった。
ズーの悲しみとしては、犬は人間よりも寿命が短いので、パートナーが絶対に早く自分よりも死んでしまう、ということがあるらしい。だけどそれは逆に言えば、赤ん坊の頃から老衰して死ぬまで、パートナーの生を最初から最後まで丸ごと受け止められるという良さもある、という話もあって、それってファンタジーとかで永遠の生を持つ者が人間に対して思うやつと同じだ……と思った。異種間の愛って別にファンタジーじゃなく身近にあった。

稲田俊輔『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』

エリックサウスなどの飲食店を経営している稲田さんが、サイゼリヤとか松屋とかマクドナルドの「このメニューがプロから見ても美味い」という話を熱く語っている本。

inadashunsuke.blog.fc2.com

もともとはこのブログがすごくバズって、そこから書籍化の話が来たらしい。
「デニーズのデリーチキンカレーのこだわりはすごい」とか「マクドナルドの肉はパサパサなのではなく本場的な固く焼きしめる方向性だから」とか「バーミヤンの本格中華的なこだわり部分」とか知らなかった知識をいろいろ教えてくれて、実用的にも役に立つ。『めしばな刑事タチバナ』が好きな人は絶対好きなやつだと思う。
エリックサウスマサラダイナーのモダンインディアンコースは在華坊さんがすごく勧めていたので一度行ったけどとてもよかったです。

スズキナオ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』

人があまり注目しないような地味な場所を淡々とレポートするみたいな話が多くて面白かった。 「チャンスがなければ降りないかもしれない駅で降りてみる」とか「としまえんに行ったけど入れなかった人のために」とか、何もないような町をぶらぶらする話が特に好き。
roujin.pico2culture.jp

雨宮まみ『東京を生きる』

又吉直樹『東京百景』

SUUMOタウンをまとめた書籍『わたしの好きな街 独断と偏愛の東京』に何か書き下ろしを書きませんかという依頼があって、東京について何か書くぞ、と思ったときに、参考に読み返した二冊。
雨宮まみ『東京を生きる』は良いんだけど、東京に対する思い入れが強すぎてちょっと怖くもある。帯の穂村弘の「東京に発情している」という言葉がぴったりだ。僕は東京は好きだけど、ここまで激しい感情はないな。過剰な何かを持て余している人が文章を書くし、過剰な何かを持て余している人が東京に出てくる。読んでいるとそんな気持ちになる本だ。
本の中ではうまくいかない恋愛についてもしばしば語られるのだけど、この本の中では東京と恋愛はほとんど同じものだ。それはどちらも、どうしても惹き付けられてしまうけど、本当はそこには何もないかもしれなくて、決して手に入らないもの、だ。どこにもないものを追い求める人がやってくる街、東京。自分にも思い当たる部分は多々ある。
又吉直樹『東京百景』は、東京のいろんな場所の思い出を百個並べた本。大体全部短くて、しかも長さがバラバラなのがいい。1ページのものもあれば8ページのものもある、というような。18か19で芸人になろうと思って上京したけれどまだ何者でもない頃の焦り、みたいな日々のことも多く書かれていて良い。装丁もよくて持っておきたくなる一冊。
雨宮さんも又吉さんも10代の頃に上京しているから東京への思いがエモくなる、というのはあるかも。僕が上京したのは28のときだったから、そこまでひりひりした感じではないんだよな。

山下泰平『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』

kotoriko先生の著書。タイトルは長すぎてふざけてるけど中身はかなりちゃんと作られた本。
明治時代に庶民のあいだで圧倒的に人気だったけれど今では完全に忘れられてしまった講談速記本などの明治娯楽物語について紹介したもの。別に明治時代の人がみんな鷗外や漱石などを読んでいたわけじゃなく、僕らが普段くだらないマンガやアニメを見て笑っているように、明治の人もバカバカしい娯楽物語を読んで笑っていたのだ。
弥次喜多が大砲の弾に乗って宇宙旅行をするとか、身長と肩幅と奥行きが同じ長さという豆腐のような体をした豪傑が人をバッタバッタと倒しまくるとか、そんなバカバカしいけれど痛快な話がたくさん紹介されているのだけど、言ってみればONE PIECEとかだってそんなようなものだ。
現代のエンターテイメントで使われている技法やキャラのルーツも結構このへんにあったりするようだけれど、現代では明治娯楽物語というのは完全に忘れられていて、評価される前の浮世絵みたいな状態らしい(浮世絵というのは今でこそ芸術として扱われているけれど昔の日本では全然大事にされてなくて食器の包装紙とかに使われていて、それが海外で芸術として評価されたあと、評価が逆輸入されて日本でも大事にされるようになった)。
バカバカしい豪傑たちの話とともに、明治娯楽物語というジャンルの背景や変遷や影響もしっかり論じられている労作。

三宅香帆『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』

ブロガー的なバズ狙いというよりは普通に文芸的に良い文が多く、なんとなく良いなっていうだけで終わらせてしまいそうな文章の良さが予備校教師並みの解説力でわかりやすく言語化されて分析されていて良かった。
文芸的な観点からもよいのだけど、実用書・ビジネス書としてもよく作り込まれていて楽しめた。
僕は文芸的な文も好きだけど、よくできたビジネス書的なのもわりと好きで、だからたまに自分でもそういうのを書いたりする(『しないことリスト』とか『知の整理術』とか)。自分はビジネス書的なのがそれなりに好きで書くこともできてよかったな、と思う。文芸方面だけやってたらどんなに名文書きでもあまり食えないから……。

赤松利市『ボダ子』

著者の破滅的な人生を書いた私小説で、震災の東北周りを舞台にした話。著者は「62歳、住所不定、無職」でネットカフェで小説を書いていて作家デビューした、というので話題になっていた。
タイトルになっているけどそんなに境界性人格障害の娘のボダ子の話は多くなくて、主人公のおっさんの話がメイン。
主人公もろくでもないし、他の登場人物も嫌なやつばかりでよい。主人公はろくでもないのだけど、西村賢太のように直接人にキレたりはせず、強い人間の横暴さにはわりとされるがままで、だけど自分よりも弱いものには強く当たる、というだめさをそのまま書いているのがいい。
ひどいことばかり起こる話なんだけど、みんなクズだからしかたない、という感じでそれほど湿っぽくならず、人間はどうしようもないな、という気持ちになる。

滝本竜彦『ライト・ノベル』

不登校の僕の周りにいろんな不思議な美少女が現れていろんなことが起こる、というような話なのだけど、よくあるラノベ的な話ではない。内容としては、はっきりしたストーリーがなく、主人公が何をしたいのかもあまりわからなくて、小説としてはアンバランスさを感じるのだけど、なぜか読んでて面白い。ところどころに主人公が神秘体験をするようなシーンがあるのだけど、その描写がとてもよい。

ja.wikipedia.org

そしてこの本自体が神秘体験というか、読んだ人全員に神秘体験をさせる装置のようなところがある。人間の感性を刺激するイメージというものがいろいろあって、そのボタンを順番に押して行ったらなんだかよくわからないけど気持ちよくなってくる、みたいなのを小説でやろうとしている感じがある。
不思議な小説だし、滝本竜彦さんにしか書けない小説だ、と思った。小説って何を書いてもいいんだな、と元気が出た。

川端康成『眠れる美女』

眠ってる女性を買う話。三宅香帆さんの『人生を狂わす名著50』で紹介されていて、そういえば川端康成って読んだことなかったな、と思って読んだらすごかったやつ。さすがノーベル賞。すごく不穏で背徳的で危うくて良い。

山崎ナオコーラ『論理と感性は相反しない』

小説の短編集。なんとなくタイトルが気になって読んだのだけどめちゃめちゃ面白かった。自分にぴったりな読み物だ、と思った。
僕はそんなに普段小説を読む方じゃなくて、小説っぽい小説って苦手なんだけど、山崎さんの文章には普段自分が小説を読んでいてだるいと思う部分があまりない(なんだろ。例えば情景描写とか?)。何が必要で何が不必要かという感覚が自分に似ているのかもしれない。もっと読んでいきたい。続いて短編集の『手』、エッセイ集の『指先からソーダ』も読んだけどよかった。

小津夜景『カモメの日の読書』

ブックファースト新宿店で開催された「名著百選」に選んだ本。
漢詩の紹介とエッセイの組み合わせなのだけど、エッセイが異常にうまい。こういう文章を書けるようになりたい。そして、漢詩って今まで全然興味がなかったけれど、漢詩の紹介もとてもおもしろい。郷愁や友情や孤独など、昔も今も人が良いと感じるものは変わらないんだな。

穂村弘『どうして書くの?』

書くことについていろんな書き手と話した対談集。ほむほむ、かわいいだけじゃなくて書くこととかに言葉に対する感覚の鋭さがやっぱりすごいんだよな。そして実作者でもあると同時に評論家の目も持っていて、良い文章の何が良いのかを言語で説明するのもすごく上手。
穂村弘が引用していた中井英夫の言葉で「小説は天帝に捧げる果実。一行でも腐っていてはならない」というのが良かった。執筆の動機は、読者に何かを届けようとか伝えようと思って書くのではなく、天帝(みたいなもの)のために文章をひたすら研ぎ澄ませて完成度を上げてそれを捧げること、ということ。穂村弘もそうらしいし、僕もわりとそういうタイプだ。そうは言っても全く読んでくれる人がいないと寂しいのもあるんだけど。

大森静佳『カミーユ』

歌集。僕が詩歌に求めているものってイメージの飛躍なんだけど、すごくなめらかかつ驚きを持ってさまざまなイメージが接続されていてよいなと思った。

天涯花ひとつ胸へと流れ来るあなたが言葉につまる真昼を

天涯花ってどんな花なのかわからないけど文字だけで喚起力がある。それが「胸へと流れ来る」って、現実ではなくイメージの話なんだろうけど、何か少しわかる気がする。そして上の句の「流れ来る」というわずかな時間の流れを含むイメージと、下の句の時間が止まった瞬間のイメージを並べて見せることで、すごく情景が広がる感じがある。

遠景、とここを呼ぶたび罅割れる言葉の崖を這うかたつむり

視点や意識をぐらぐら揺らされる感じと、その断層を接着するような粘液としてのかたつむりの対比がよい。

あなたはわたしの墓なのだから うつくしい釦をとめてよく眠ってね

「釦(ぼたん)」って漢字、□の部分が身も蓋もない象形文字な感じで好きなのだけど、「うつくしい釦」という文字の並びだけですごく気持ちいい。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』

フランスの学者が書いた本なのだけど、読んだと読んでないってそんなに簡単に分けられることなのか、みんな読んだつもりになって語っているだけなんじゃないか、ということがさまざまな文献を例を引きながら説得力を持って語られていて面白い。
ここに書かれているようなことは別に本じゃなくても、例えば人についても同じだろう。僕と彼がAさんという同じ人について語っていても、僕が語るAさんと彼が語るAさんは違うものだ。一体誰がAさんのことを正しく知っていると言えるだろうか。誰も正しく知ることができないまま語っているのだし、何かについて語るというのはいつだってそんなものなのだ(だから何でも好きに語ればいい)。

青井硝子『雑草で酔う』

植物による「酔い」と人格システムや社会システムを合わせて考察してるあたりが独特で奇書感がある。
青井さんは、発達障害的な感じだったせいで就職とか起業とかうまくいかなくて人生に行き詰まっているときに「酔い」を体験することで、社会に適応している人間の考え方を理解できるようになってうまくいったらしい。その体験がこの本の根幹になっている。
ホモ・サピエンスがネアンデルタール人に勝ったのは、幻覚性植物を摂取することで家族とか社会とかいった抽象的概念を理解することができたから、という説があるらしくて、その説と青井さんが社会性に目覚める体験が重ね合わせられていたりする。そういうこともあるかなとは思うが、再現率がそこまで高いかはわからないし、なかなか余人には真似できなさそうだなと思う。若いなー、僕はここまで思い入れる若さはないな、と思った。

ロマン優光『90年代サブカルの呪い』

90年代当時の鬼畜系サブカル文化を、今の視点から総括した本。いつも通りロマンさんが、あまりみんな真面目に語ろうとしないような話題について丁寧に真っ当なことを言っている感じ。僕は当時そのへんの本をよく読んでいたので面白く読んだ。

外山恒一『全共闘以後』

改訂版 全共闘以後

改訂版 全共闘以後

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全共闘以後の左翼運動の歴史の話。そんなに左翼運動の歴史自体には興味はないんだけど、ブルーハーツとかだめ連とか素人の乱とか、政治的なものとは別の文脈で知った名前がたくさん出てきて面白かった。
才能があって人を集めるのが好きで活動する若さがある人間がいると、自然と運動というのは生まれていく(そして離合集散していく)、という様子が丁寧に描かれている。主に自分より10歳くらい上の世代の話なのだけど、自分の世代もあまり変わらないな、という印象。自分の世代も上から見たら同工異曲に見えただろう。自分が下の世代をそう見てしまうように。そうやって少しずつ時代は変化していくのだろう。

安達正勝『死刑執行人サンソン』

漫画『イノサン』の原作ということで読んでみたのだけど、あれはわりと原作に忠実だったんだな、と思った。新書だけど小説ぽい。面白かった。

トレヴァー・ノートン『世にも奇妙な人体実験の歴史』

未知の病気を解明するために自ら病原菌を注射したり寄生虫を飲んだりしてきた医者たちの歴史。グロい話が多くて良かった。調子が悪いときはそういうのを読みたくなる。

村山斉『宇宙は本当にひとつなのか』

重力とか相対性理論とか暗黒物質とか、力の統一理論を作ろうとすると多次元宇宙があると考えたほうがいい話とか、そのへんの知識、なんとなくわかったつもりでいるけれど細かいところは忘れがちなのだけど、わかりやすくいろんな知識をつなげながら教えてくれてよかった。