phaの日記

パーティーは終わった

発声すること



 昨日書いた竹内敏晴『ことばが劈(ひら)かれるとき』で面白かったところをもう少し紹介します。
 この人は演劇畑の人なんだけど、詩や戯曲の台詞を音読するとき、「良心的」な朗読ほどつまらない、というのが面白かった。「良心的」というのは、その詩や戯曲が意味するところ、表そうとしてるものを真摯に想像し、それを一生懸命表そうとする態度を言います。そうではない。

 音がまず、豊かに発声されること、そのリズムがイメージを喚起し、呼吸とこえの響き=共鳴がからだに震動を起こし、変化させ、さらに酔いを発せしめるとき、その語句の内容=意味も、対象への志向=行動も、おのずと、全面的に姿を現わす。

 充分にセリフの意味を理解できぬ若者が、こえを充分に発したとき、−−と言うよりむしろこえがおのずから豊かに姿を現わしたとき、と言うべきだろうが−−そのとき、発語者とは深層から浮かび出てくる言葉の回路にすぎず、かれは、ことばの「意味」があまりにも明確にそこに成り立っているのを発見し愕然とするのだ。

 これが面白いと思ったのは同じようなことを別のジャンルで言っているのを読んだことがあったからで、それは確かちょっと前のユリイカはっぴいえんど特集で松本隆が言っていたことだった。はっぴいえんどって、松本隆以外は全員音楽少年で、松本隆だけがたまたま文学少年だったので彼が詩を書いたとか言ってて、そんで大滝詠一が歌うわけだけど、大滝詠一は歌詞の意味とかあんまり考えず、何を言っているのかもよくわからないまま歌ってるからいい、って言ってた。街? 何それ? みたいな。最近の人が「をあつめて」とかカバーしたりしてるけど、みんな歌詞の意味を想像して感情移入して歌ってるからちょっと違う、って言ってた。
 あと、id:tripletさん、昨日の方言の話に関連するんだけど、この本に書いてあった「日本の昔からのわらべ歌、「かごめかごめ」などを歌わせるとほとんど音痴はいない」というのが面白かった。西洋音階で話し言葉と歌が分離してしまったとかそういう話。


manic
効果的かどうかはわからないけど毎日一定時間大声を出すとヴォイストレーニングになるみたいよ。私はほぼ毎日喉歌の練習のために声を張り上げてるけど、お経をよむ度に“いい声ですね。”と言われます。
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pha
そうかー。淀川に行って歌うようにしてみるよー。