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phaの日記

毎日寝て暮らしたい

熊野寮の思い出

京都


※この文章は2014年11月に発行された「京都大学熊野寮五十周年記念誌」に寄稿したものです。

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pha
一九九八年入寮


熊野寮に入るまで、僕は友達があまりいなかった。人と話すのがそんなに得意ではなくて、人を誘って遊んだりするのもすごく苦手だったし、人に誘われてもなんかしんどくて断ってばかりいた。だから大体いつも一人で行動していた。そのときはそれで平気な振りをしていたけど、本当は寂しかったのだと思う。

そんな僕が寮に入って思ったのは「ここは誘ったり出かけたりしなくても自然に家の中に遊び相手がいる」ということだ。それは僕にとってすごく革命的なことだった。相変わらず人に話しかけたりするのは苦手だったけど、なんとなく談話室に行って漫画でも読んでいれば、ゲームをしないかとか麻雀しないかとかみんなが親切に声をかけてくれた。それはとても嬉しいことだった。楽しくて、授業に行かずに一日中ずっと麻雀を打ち続けていたりした。当時できたばかりの雀皇戦という全寮の麻雀大会で優勝したこともある(第二回)。

ある日、空き瓶置き場になって一升瓶やビール瓶が何百本も置かれていた一階の玄関横のスペース(元は下足室だったらしい)を、片付けて活用しよう、という話が出た。空き瓶を全部処分して、コンクリートの上に直接畳を敷き詰めて、ソファーや本棚を置いた。そこは「軟らかい鉄のようにこれから何者にでもなれる可能性のある若者たちが集まる場所」という意味で「軟鉄庵」と名付けられた。

僕はしょっちゅう軟鉄庵にいるようになった。本当は寂しかったり暇だったりして誰かに相手してほしいんだけど、自分から人に声をかけるのは怖いので、軟鉄庵のような多くの人の目に付く場所で「別に寂しいわけじゃなくて、俺はここで本を読んでるだけだが何か?」というような振りをして、ずっと俯いて本を読んでいた。そうするとときどき通りかかった人が立ち寄ってくれて、話しかけてくれたりメシを食いに行こうとか誘ってくれたりした。

寮で過ごした日々は自分の中で原体験として大きく残っていて、自分の人生にかなり影響を与えた。寮を出たあとに一人暮らしをしたりもしたけど、なんか一人暮らしは味気なかった。そして「また寮のような共同生活をしたい」と思って、今は東京で友達を集めてシェアハウスに住んでいて、あんまり仕事をせずにだらだらとゲームとかしながら暮らしている。いつまでそんな暮らしをしているのかは分からないけれど、とりあえず今は満足している。

学生時代に寮に入ってなかったら今頃、もっと普通に働いたり一人暮らししたりしていたかもしれない(あまり友達がいないままで)。それは他の人から見ると「寮に入ったことで人生を踏み外した」という風に見えるかもしれないけれど、自分としては「寮に入ったことで自分にとってしっくり来るライフスタイルに出会えた」と思っている。そんな体験を与えてくれた熊野寮のような場所が、ずっと長く残っていけばいいなと思う。

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