4月末に、シェアハウスを解散して一人暮らしを始めた。思えば2008年に南町田に最初のギークハウスを作ってからずっとシェアハウス暮らしだったので、11年ぶりの一人暮らしということになる。
上の記事でも書いたけど、ちょっと飽きてきたというのが理由だ。
4月末で住んでいるシェアハウスの物件の契約が終わることになって、また別の場所で新しくシェアハウスを立ち上げてやっていこうかということも考えたのだけど、なんかめんどいな、と思っている自分に気がついた。今さらまた一から物件探してメンバー集めてシェアハウスをやるのすごくだるいな。そんなのはもう何回もやったことで、11年もやると大体どういうことをすればどんな感じになるかも想像がつく。それよりも、今さらあえて一人暮らしをする、ということのほうが自分にとって新しくてワクワクする感じがした。シェアハウスも11年やったからもういいだろう。シェアハウスやってる若い人も今はたくさん出てきてるし、僕もいい年になったし、そういうのは若者に任せていこう。
だけど、あまりにシェアハウスの生活に慣れすぎていたので、一人暮らしをするのはすごく不安があった。孤独で死んでしまったりしないだろうか。
実際に一人暮らしを始めてみると、思った以上に快適だった。家が静かなのがいい。心が休まる。自分以外の誰かが散らかしたものを片付けなくていいのはすごく楽だ。
シェアハウスに住んでいるときは、常に人の気配があったし、突然誰かが訪ねてくるかもしれない、ということに備えていたりもした。それが楽しい部分でもあったのだけど、やっぱり常にちょっと気が休まらないところがあったみたいだ。
一人暮らしだと、家にいるときは完全に一人だ。そして、人に会うときは、人に会う気持ちの準備をしてから外に出かけていく。いわば、オンとオフがはっきりしている。オンのときはちょっとがんばっているし、オフのときは完全に脱力している。
シェアハウスは、そういう意味でオンとオフが入り交じった空間だった。突然誰かが訪ねてきたり、突然夕食会やゲーム大会が開かれる可能性のある空間。それは面白いことではあったけれど、ちょっとそういうのに疲れていた部分があったみたいだ。
今は家にいるときは完全に一人で(あと猫が二匹)静かに暮らしている。たまに人に会いたくなったら友人に声をかけて会ったりもする。とりあえずこんな感じでしばらくやってみようと思う。
一人暮らしを始めて、自分から能動的に人に会うということをすごく久しぶりにやった気がする。そこで思ったのは、人に会ったり人を集めたりするのは、何か口実がいるな、ということだ。飯でも花見でも誕生日でもなんでもいいんだけど。シェアハウスだと、そういうのがなくてもいつもなんとなく人が集まるのがよかったな。これからは人と会う口実をたくさん作るのを上手になっていかないといけないのか。
あと、一人暮らしを始めてから、仕事をする量が増えた。人に会ったり、人と何かやったりしたい、という欲求が増えているからだと思う。それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。生産的になってしまうな。