道場の有段者のOさんに投げられるとすごく面白い。まずこっちから相手の手首を掴みにいくんだけど、手首を掴んだ瞬間に、こちらの腕のスイッチが切れたように何もできなくなって、そのまま連れて行かれて落とされてしまう。
掴みにいくときっていうのはある程度の手ごたえを想定して掴むんだけど、実際掴むとなんかもう骨がないかのようにクニャッとした柔らかいものを掴んでしまった感触で、その感触を味わったとたんにこっちの腕の力も一瞬で抜けてしまってなんか何もできなくなってしまうのです。すごい。
「腕のスイッチが切れる」というのはもともとはこの本に出てきた言葉。
- 作者: 板垣恵介
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2005/12
- メディア: 文庫
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板垣恵介が沖縄の古伝空手の宇城憲治に会いにいって腕相撲をしたときの話が載っているんだけど、この宇城さんと腕相撲をすると同じようにこちらの腕のスイッチが切れて嘘みたいにパタンと倒されてしまうらしい。
訳がわからずきょとんとする板垣恵介に宇城憲治はニコニコ笑いながら
「これがゼロの力です」
とか言ったりするんだけど。
宇城憲治の本は新書を一冊読んだんだけど、すげー面白かったよ。
古伝空手の発想 身体で感じ、「身体脳」で生きる (光文社新書)
- 作者: 宇城憲治,小林信也
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/11/16
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読んだときの僕の読書メモは g:pha:keyword:古伝空手の発想
宇城氏のセミナーとかあったら一度行ってみたいなあ。
あとうちの道場の中でも技をかけられたときに「腕のスイッチが切れる」とはっきり感じるのはそのOさんだけで、先生とか別の有段者の人とかにはそこまで「クニャッ」感はないな。こちらの力に決して逆らう力が無いのは同じだけど。それは別にOさんが一番優れているというわけでもないような気がする。いろんな合気道のタイプがあるのかもしれない。
他の人では「クニャッ」感がないかわりに「こっちが掴んだのになんかこっちが負けている」感とか「こっちが掴んだのになんか掴まされてしまっている気がする」感とか「なんだかこの人の誘導する方向に連れて行かれてしまってみたい気がする」感とか「自分の腕が自分を裏切る」感とかがそれぞれあったりします。
「こっちが人間やと相手も抵抗できるけど、訳のわからんものに触れると怯むんや。だからそのときだけは人間じゃなくなったらええやん。自分をどっかに預けてしまって神様でもなんでもなってしまったらええやん」