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phaの日記

毎日寝て暮らしたい

『フルサトをつくる』目次と「はじめに」を公開します



フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

4月28日発売の新著である『フルサトをつくる』(東京書籍)(伊藤洋志くんとの共著)の目次と「はじめに」(2つあるんだけどphaの分だけ)をこの場所で公開します。

この本は僕が前からちょくちょくこのブログで書いていた、熊野の山の中に行って廃校に泊まったり家を自分たちで直したり温泉合宿をしたり鹿を食べたり、というらへんの活動についてまとめたものです。それまで都会で「インターネット最高」「働くのだるい」とか言ってた僕が何故熊野の過疎地に通うことになったかを伝えたいと思って書きました。

なんというか、ヤバくなったときにそこに帰れば死なないというセーフティーネットって面もあるし、都会では感じられないようなフロンティア感がすごく楽しい、というのもあるんですよね。広大な土地を買ったから村作ろうとか、山奥で誰も使っていないキャンプ場を発見したから使用許可を取って何かやろう、とか、そんなできごとがしょっちゅうあって退屈しないです。なんか都会よりも自由度の高さがある気がします。あと家の周りに家がないと気兼ねなく焚き火をしたり音を出せたりするのもとても良いです。

ではとりあえず目次を。一章ごとに僕と伊藤くんが交代交代に書いてます。家の話とか仕事の話とかは僕はよく分かんないから伊藤くんにお願いして、コミュニティとかネットワークの話は僕が得意だから僕が書いて、みたいな感じ。

目次


はじめに―― 21世紀のスーパーディフェンシブ生活体系のすすめ 伊藤洋志
はじめに―― 帰るべき場所は自分でつくろう pha

第1章 フルサトの見つけかた pha

人の縁をたどっていこう /人・環境・交通 /面倒臭くなって行かなくならないためには

第2章 「住む」をつくる  伊藤洋志

「どこに住むか」についての考え方 / 家をどうやって探すのか? フルサトの家確保条件 / 建ててしまってもいい、小屋作戦 / フルサトのきっかけづくりは瞬発力が必要 / 遠くと連携しよう / フルサトを行き来する意義 / 行ったり来たりを無理なくする方法

第3章 「つながり」をつくる pha

「つながり」をつくる /移住者コミュニティがあると楽 / ときどき来る人のネットワーク / ゆるい流動性をつくる /骨は埋めなくていい? /オープンとクローズドのあいだ /「人を集める」と「人を集めない」の使い分け

第4章 「仕事」をつくる――「頼みごと」をつくる 伊藤洋志

フルサトでの「仕事」になる要素 /家計と自給力について 経済は何かが交換されて循環すればよい /古きナリワイをアップデートする 都会に住みながらもフルサトでやれるナリワイの考え方 / 土地を持たない遊撃農家 /仕事はお金を正しく使うことから

第5章 「文化」をつくる pha

日本中どこでも都会的な文化が楽しめるようになった? / 観光客向けの文化と住人向けの文化 / 自分たちで町を作る / カフェという都市的文化空間 / 小さな図書館をたくさん作ろう / 旅と日常のあいだ / 文化は楽しみながら作れる / 生活とともにある文化 / 都会の人を呼んでくるという手もある / 一つずつ必要なものを作っていく面白さ

第6章 「楽しい」をつくる――「〜したい」をつくる 伊藤洋志

フルサトならではのテーマを探求する / 温泉掘るぞ!――老害問題を防ぐという一大テーマに挑む / 古代の人たちもフルサトをつくっていた / 田舎はチャレンジするスペースが空いている / 目指せニンジャ幼稚園――田舎ならではの教育を考える / ヨタヨタのジャンキーと健康優良不良少年 / 「都会は冷たい、田舎には刺激が無い」を超えて

第7章 フルサトの良さ――多拠点居住の意義 pha

都会と田舎を往復する暮らし / 都会への人口の集中の歴史 / 家族制度と住居形態の変遷 / 家は一人では使いにくい / 複数人で複数の家を使ってみよう /自分が楽しいことをやっているだけ / 都会と田舎を連動させよう

あとがき 伊藤洋志
あとがき pha

はじめに

「はじめに」は、僕と伊藤くんがそれぞれ書いてるんだけど、僕の分だけここで載せます。伊藤くんも彼のサイトかどこかで公開する予定。

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はじめに - 帰るべき場所は自分でつくろう pha


僕は大阪府大阪市の町なか(徒歩圏内に電車の駅が2つあるようなところだ)で生まれ育って、大きくなって家を出てからも京都や東京の中心部といったいわゆる「都会」にしか住んだことがなく、「田舎」というのは自分にとって遠くて関わりのないものだった。田舎に対しては「虫が多いのは嫌だな……」とか「コンビニが徒歩5分以内にないと生きていけない……」とかそんなイメージしか持っていなかった。それが「田舎も少し面白いかもしれない」と思い始めたのは30歳を少し過ぎた頃だったと思う。
僕が「働くのはだるいし勤めるのとか向いてないからしばらく何もせずにふらふらしよう……」と思ってあまり先のことを考えずに会社を辞めたのが28歳のときだったんだけど、「面白いものとか新しいものは全部東京に集まってるし、やっぱり一度東京に住みたい」と前から思っていたので、無職になったのを機に関西から東京へと引っ越してみた。確かに東京には物も人も情報も文化も溢れていて最初はすごくエキサイティングだった。でも、5年も住んでいると、なんかちょっと疲れて飽きてきた感じがしたのだ。
東京はいつもにぎやかで、情報の流れるスピードがとても速い。それは面白いところでもあるんだけど、何もせずにぼんやりしていると置いて行かれてしまうような感じもしてしまって、東京にいるとなんかつい気が焦って休みたいときでも心からのんびりできないところがあった。あと東京は何をするにもお金がかかる。毎日家で寝ているだけでも家賃の負担が大きくてお金がガンガン減っていく。ゲームで言うと歩くだけで体力が減っていく毒の沼地にいるような感じだ。東京は僕のような無職で怠惰な貧乏人にやさしくない。
ちょうどそんなことを考え始めていたときにこの本の共著者の伊藤くんと偶然出会って、伊藤くんが学生の頃から通い続けている和歌山県の熊野という地域の話を聞いたのだった。そして実際に熊野に行って現地に住んでいる若い人たち(20代〜30代)の暮らしぶりを見てみたら、「なんか面白そうやん」って思った。


田舎は家が余っているので使ってない家をうまく借りられれば家賃は非常に安く抑えられる。僕はあんまり働きたくなくて大体毎日家で寝ながらインターネットを見たりゲームをしたりしてるんだけど、どうせ家にいるんだったら別に都会にいても田舎にいてもあまり変わらないんじゃないかと思った。それなら田舎のほうが家賃が安く済んでいい。
あと、僕はいつもゲームの中で山を歩いて頂上から夕日を眺めたり(ゲームの中の夕日ってバーチャルだけどなんかすごく美しく見えるのはなんでだろう)、動物を狩って肉にして食べたり、木を切って材木にして家を建てたりしてたんだけど、熊野ではみんなそれをリアルの現実世界でやっていたのだ。ひょっとして都会より田舎のほうができることが多くて面白いんじゃないか。田舎には都会よりもインターネットよりもゲームよりも未開拓でワクワクする感じがあった。都会とかネットの世界だと分からないことは何でも検索すれば出てくるけど、田舎は情報化されていないので地元の人に話を聞いたり、自分で行ってみたりしないと分からないことが多い。また、都会だと大体何でもお金を払って手に入れることが日常だけど、田舎の生活だとお金を使わずに自分で工夫して作ったり近所の人からもらったりすることが結構多い。そういうのがまるでロールプレイングゲームの世界のようですごく楽しかった。村の人に話を聞くとマップに新しいポイントが増えたりクエストが発生したりしていくみたいな。
また、お金はないけどあまり働きたくないし家族も持っていなくて将来の人生がどうなるか不安定な僕としては、いざというとき(都会で家賃が払えなくてホームレスになりそうになったときとか)に逃げ込めるセーフティーネットになる場所を作っておきたいというのもあった。僕の前著である『ニートの歩き方』(技術評論社)は、「働くのが苦手な人とか会社や学校に適応するのが苦手な人でもできるだけ死なないようにしたい」、「人間は仕事のために生きてるんじゃない、仕事のために人生を犠牲にするのはおかしい」というコンセプトの本だったんだけど、本書『フルサトをつくる』もその延長線上にある。
『ニートの歩き方』では都会でお金のない若者が助け合いながら生きていく手立ての一つとして友人同士のシェアハウスを紹介した(僕は今も東京で友達と5人で一軒家を借りてシェアして住んでいる。一人あたりの家賃は月に2〜3万円くらい)。都会でのシェアハウスが「実際の家族よりゆるい家族」だとしたら、フルサトは「実際の故郷よりゆるい故郷」だ。困ったときに実際の家族や実際の故郷を頼れればいいけどそれができない場合もあるだろうし、いざというときに頼れる場所はできるだけ多いほうがいい。
そして、それは自分でつくることもできる。帰る場所がなければ自分でつくってしまえばいいのだ。


今の時代、何が起こるか分からない。平穏な人生を脅かすトラブルは突然予告もなくやってくるものだ。自分や家族が病気で倒れる、職を失って収入が途絶える、大災害が起こって住む家がなくなる、といったことは低確率だが誰の人生にも起こりうる。だから、「大きな失敗をしたり大きなトラブルに遭ったりしてもそこに行けばなんとか生きられる」という場所を持っていることは、生きるにおいてかなりの心の余裕をもたらすので大事なことだ。頼れる家族や故郷がない人は自分でそういう場所を新しく作ればいいし、既に家族や故郷を持っている人も、補助的なものとして家族っぽいものや故郷っぽいものをもう一つ作れば人生がより豊かで安心なものになるんじゃないだろうか。僕みたいに都会生まれの都会育ちでいわゆる「ふるさと」を持たない人も現代では多いはずだけど、それなら自分で作ってしまえばいいのだ。今の日本の地方は人口減少だとか過疎化だとかで土地も家もたくさん使われないまま余っている。都会では貧乏な若者が狭い部屋に詰め込まれて窮屈に暮らしているのに田舎では空き家がたくさん余ってどんどん腐っていっているというのはどう見てもなにかバランスが悪いので、田舎の家や土地や自然を活用するのは良いことのはずだと思う。
もちろん、シェアハウスより実際の家族のほうが、フルサトよりも実際の故郷のほうが、結びつきが強くて助けてくれる度合いは高いだろう。シェアハウスの同居人は風邪を引いたときにおかゆぐらいは作ってくれるかもしれないが、お金に困ったときに大金を借りたりはしにくい。だけど、実家や地元は結びつきが強い分だけ息苦しさもあるし、友人同士のゆるい繫がりのほうが気楽なときもある。また、シェアハウスやフルサトは、自分で自分の好きな人を集めて新しく作ったり、複数作って複数に属したりすることもできるから、実際の家族や故郷よりも自由度が高い。現代は、今までリアル家族やリアル故郷がまとめて引き受けてきた役割がいろんな複数のコミュニティに分散されていくような、そんな流動的な時代なんだと思う。


そんなこんなで、伊藤くんから熊野の家を自分たちで直して使わないかという話を聞いたとき、二つ返事でその計画に乗ったのだった。僕は体力も根気もないし人付き合いも苦手だから自分一人で田舎に家を借りるなんて絶対無理だけど、伊藤くんは働き者でしっかりしてるから、彼に乗っかっておけば何とかなるだろうという計算もあった。
この本は僕と伊藤くんと僕らの友人たちが田舎の一軒家を新しいフルサトとして一から作っていった記録だ。日本中どこの田舎でも過疎だし家は余っているし、やろうと思えばどの地域でも同じことはできるだろう。
この本が、僕らと同じようなものを求めている人たちの何かの参考になればいいなと思う。

(ここまで)
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という感じです。

このブログでの熊野関連の記事については、熊野カテゴリー - phaの日記からたどってもらえればいろいろ見れます。
本で紹介している熊野での若者たちの活動についてはこのリンク先がまとまっています。→熊野のいろいろな活動まとめ。 - NPO法人山の学校の歩み。
ということで、興味を持たれた方は本を買って読んでもらえれば嬉しいです。
「フルサトをつくる」公式アカウント (furusatowotsuku) on Twitterで出版記念イベントなどの情報も流しています。とりあえず淡路島(5/18)と岡山(5/19)でトークイベントをする予定です。

・5/18 島の情報室 • わたしのフルサトづくり 『フルサトをつくる』刊行記念 伊藤洋志さんトークイベント5/18 16:00〜@菜と根(淡路島)
・5/19 <NEW!!>「フルサトをつくる」刊行記念トークショー@岡山 - TKPRESS



(フルサトくん)

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