オフレポ書きたいなーとか思いつつも毎日をあほみたいに何も考えずにぼーっと過ごしていたらもう一週間以上経ってしまったのだけど、前の前の土曜日はダンコーガイ邸にて数十人が集まるサバイブSNSのオフに参加していました。大変充実した会でとても楽しかった。弾さんおよび弾さんのご家族には大変お世話になりました。本当に有難うございます。
いろんな人が各方面から参加していていろんな話ができてとても面白かったのだけど、集まっている人は全然困じゃないとかいう意見はあって、まあそれは確かにそうだと思った。「貧困」と言って一般的にイメージされるのはもっとお金のない感じだろうけど、サバイブ内には結構普通にお金や仕事があったりする人が多い。もっと貧乏な雰囲気を期待してサバイブSNSに入ってきた人は拍子抜けするかもしれない。
僕だって今はニートで収入はないけど、それでもいろんな条件を考えるとニートの中でも恵まれているほうだと思うので、自分を「貧困」と言ってしまうのには少し抵抗がある。
まあ、「貧困とはお金がないだけじゃなく繋がりが少ないことだ」とか「心の貧困」とか意味を繋げることはできるけど、ちょっとストレートではないと思う。
かといってサバイブSNSに意味はないとは思わない。「お金がない」という問題とは別に、みんな仕事とか家族とか病気とかいろいろの、なんらかの「生きづらさ」を抱えている人が集まっていると感じる。生きづらさの中でサバイブするための場。そういう場でのコミュニケーションや情報交換はとても有意義だと思う。現実だとお金とか仕事とかしがらみとかそういったものに行動が縛られがちだけど、現実空間とは別の条件で動いていてゆるく繋がれるオルタナティブな場所として、小さいSNSは結構いいものだと思います。ただキャッチコピー的に「貧困SNS」だとわかりやすいけど「生きづらい人のためのSNS」だとピントがあまり絞れてなくてキャッチーじゃないなあ、とも思うのだけど。
ダンコーガイの豪邸で浮かれてパーティーをするのがどこが貧困なんだという意見もあるけど、ダンコーガイ邸でオフをやったことの意味は、弾さんと僕らが一緒に飲んで喋れたこと自体にあるんだと思う。だって僕が普通にしてたら弾さんのような人のおうちに行くことなんて絶対ないもん。階層が違いすぎて。それが、ネットという場所では弾さんも僕らも同じネットワーカーの一人としてフラットな立場で交流することができる。そういう現実世界とは別のネットワークを形成できるというのがネットの最大の魅力だと思う。
などということを思ったー