はてな村ぽい話題が久しぶりに上がっていたので僕も何か書いてみることにする。
昔はこういう話題があったらみんなその話題にむらがって何十ものブログが書かれていたのだけど、今はもう数えるほどになってしまった。今ではシロクマ先生が一人で孤軍奮闘してはてな村を守り続けているような印象がある。
僕がはてなブログを書く人が減っているなと感じたのは、毎週集計されているはてなブログランキングに、50ブクマも得ればランクインしてしまうようになったということだ。昔は250ブクマくらいないと入らなかったのに。
書く人が減ったのは僕らの世代が年をとってしまったということに加えて、ブログが流行っていた時代が終わってしまったというのもあるんだろう。そのブログブームの前にあった、テキストサイトブームが終わってしまったときと同じように。
はてな村と言ってまず思い出すのが、「キャッキャウフフ(ネット上で仲良く絡み合ってる様子)」「クネクネ(ネット上で仲良く絡み合ってる様子)」「けまらしい(ネット上で仲良く絡み合ってる様子がねたましい)」などといった独特の用語がよく使われていたということだ。
結局、なんでみんなあの頃のはてな村でブログを書きまくっていたのかというと、ネット上の人たちと仲良く絡みたかったという理由が大きかったんだろう、と思う。人間は人間関係を求める生き物。
そして、ブログよりも手軽に簡単に人と仲良く絡めるツイッターなどのSNSが普及したことで、みんなブログをあまり書かなくなってしまったのだろう。長文を書くのなんてめんどくさいもん。長文を書くというのは一種の特殊技能なので、ツイッターやインスタやYouTubeやTiktokとかに行く人が多いんだろう。
今だとネット上で仲良くしてる様をわざわざ「クネクネ」とか言って揶揄するほうが違和感がある。だって、今のネットというのはそのためにあるツールだから。馴れ合いではなく硬派にガチの記事を書き続けるのがネットの本道、という空気があった昔のほうが、今となっては不思議な気がする。そんな令和の世の中です。
昔はWeb2.0(って10年ぶりくらいに言った)とかいう言葉が流行っていて、「ネットにいろんなものをアップロードしまくれば世界は良くなる」というぼんやりとした雰囲気のもとに、みんながいろんな情報をむやみにネット上に公開しまくっていた。ブログを書いてトラックバック(これも10年ぶりくらいに言った)を送りまくってネット上に知の議論空間を作り上げよう、とかそういうのがあった。あの頃はブログを書けば世界が無限に広がっていくような気分があった。
しかしネットがどんどん多くの人に普及するとともに、ネットに何でもフルオープンすることの闇の面もたくさん現れてきて、そんなにネットって理想郷じゃないことがわかってきて、そういう楽天的な雰囲気は消えてしまった。
しかしあの頃みんなこぞって長文を書いていたからこそ、生まれた面白い文章がたくさんあったと思う。はてな出身の書き手もたくさん出た。はてな社の編集を通じてオウンドメディアなどで記事を書いている人も多いし、本を出した人もたくさんいる。それはあの時代が生んだ遺産だと思う。
今はちょっと長い文章を書く人はnoteを選ぶ人が多そう。なんかシンプルでテキスト向きっぽいし、課金もできるし。しかしそこにははてなみたいなコミュニティ感はないな、と思う。はてなのブログとブックマークが入り混じって独自のコミュニティを作っていたあの感じが稀有なものだったのだろう。
はてなでしかできないこと、というのは特になかったと思う。今だって、ネットの人間と戯れたければTwitterをやればいいし、創作をしたければなろうに行けばいいし、自分語りをしたければ増田に書けばいいし、文章をお金に換えたければnoteを使えばいい。でも、そのどれもが渾然一体と入り混じっていて、みんな理解不能な情熱をもって毎日のように大量のテキストをインターネット上に投下していた混沌としたはてな村が僕は好きだったのだ。そこで僕は育ててもらったし、多大な影響を受けた。
これはただの、あの頃はよかったなあ、という感傷だ。もはや感傷くらいしか、僕には書くことがないのだ。
俺たちが無料で書く営みのなかには、もともと、かけがえのない何かが含まれていたのだと思う。もちろんすべての表現は混合物だから純粋無垢だなんていうつもりはありませんよ。だけどあの頃、無我夢中で文章を書いていた頃には、計算も売上も締め切りもない、自分自身が書かずにいられないパトスの結晶みたいなものがあったはずだ。
俺はまだ、そういうパトスの結晶みたいなものを抽出すること、それも、お金や利害のあまり関与しない場所にアップロードすることにかけがえのなさを感じているから、まだこの「シロクマの屑籠」を続けているし、こうやって計算や売上や〆切とは無関係な文章を打ち続けている。リスクとベネフィットの観点からすれば、こんな無駄なことはすべきではないのかもしれない。でも、これがなくなってしまったら、あなたは、いや、おれは、一体何者になってしまうのか?
僕の場合は、自分がわりと完成してしまった(自分のことが大体わかってしまった)のと、既に人間関係をだいぶ確保できてしまったので、そうすると書くモチベーションがそんなになくなってしまった、という感じだろうか。シロクマ先生の業はまたそれとは違うところにあるのでしょう。それがどんなものかははっきりとはわかりませんが、書き続けるモチベーションを持ち続けているということについては、少しうらやましく思います。人間は何かに夢中になっているときが一番幸せなものだから。