小笠原諸島に実際行く前には、「東京から南に1000kmの孤島で周辺に島はない」「空港がないので船で片道25時間かけて行くしか交通手段がない」「船は週に一回のみ」「ネットは衛星経由でしか繋がらない」というエクストリームな地理的条件から、島は一体どんな空間でどんな生活が営まれているんだろうといろいろ想像していたのだけど、実際行ってみての感想は「あ、わりと普通に生活できるな」というものだった。
確かに人も車も少ないし店などもあまりない。コンビニはもちろんないしスーパーや売店は18時で閉まってしまう。でもスーパーに行けば米や肉や味噌やコーヒーなど生活に必要な一通りの物は買えるし、道端の自動販売機でお茶だってお酒だって買えるし、テレビを付ければ普通に日本のテレビ番組が見れる。普通に日本人としての生活に必要なものは一通り簡単に手に入れることができて、あー、ここはちゃんと日本なんだなー、というのを実感した。
日本の一部としての小笠原諸島の歴史というのは実はあまり長くない。日本人が小笠原諸島に住み始めたのは幕末・明治の頃からなので、せいぜい150年ほどに過ぎない。19世紀にはイギリス人やアメリカ人が居住して領有権を主張していたこともあるのだが、地理的に日本としては押さえておきたい場所だということで幕末から明治にかけて日本が領有を宣言し、その結果日本の領土として国際的に認められ、日本人の入植が進められた。太平洋戦争中は軍の拠点として基地が置かれ、敗戦後は沖縄や奄美のようにアメリカの占領地となり、アメリカから日本に返還されたのは1968年のことだ。何百年も伝統があるわけではないためか、例えば沖縄のような、独特の文化や伝統はあまり感じなかった。
歴史的にも日本に帰属していた期間はそれほど長くないし、地理的にも太平洋の真ん中で日本列島にそれほど近いわけでもない。そんな小笠原諸島の位置づけは、もし小笠原諸島が日本領でなかったらという想像を誘発する。例えば小笠原諸島がもっと南にあってサイパンの近くにあったら今頃サイパンと同じようにアメリカの自治領だったかもしれないし、もっと南西のフィリピンの近くにあって昔からフィリピン人が住んでいたら今頃フィリピン領だったかもしれない。そうしたらこの島の街並みは今とは全く違った光景になっていただろう、と昔にバックパッカーとして旅をしたタイやインドネシアの小さい島の素朴さを思い出しながら考えた。
しかし現実の小笠原諸島は日本領で、そこでの生活の風景はとても日本だった。島固有の歴史や文化がそれほど存在しない分、そこが日本という国のプロトコルで運営されている町だということを強く感じた。
テレビでは日本の放送が普通に見られるし、スーパーでは味噌とか醤油とか、ロッテや明治のお菓子が売っている。自動販売機ではビールやチューハイを簡単に買える(これ日本以外の国ではあまりないと思う)。道路や建物や公共施設は整備されていてとても綺麗だ。気象庁や国土地理院の施設も置かれているし、港には海上自衛隊が駐屯している(空港がないため港に飛行艇がときどき発着していてかっこよかった)。町のそばの山の上には神社が建立され、新年には島民が初詣に参り、年に一度は例大祭が開かれる。
こんな海のど真ん中の孤島で、週に一回の船でしか本土と繋がっていない状態でも、そこはちゃんと「日本」として運営されているんだなあ、というのがとても面白かったです。