またちょっと短歌でも読んでみようかと思い、ブックオフで百円で石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』(新潮文庫)を買った。こういうときにブックオフはとても便利だ。これくらいに有名な本なら二軒も回ればすぐに百円で見つかる。
この本、昔持ってたのだけどどっかにやってしまったのでまた買ったのだ。今回読んで思ったのは、百年前でも今と同じようなだめなやつはいっぱいいたんだなあ、ということ。啄木自身がだめっぽいというのは前に読んだときにも思った(こんな歌とか)
大木の幹に耳あて
小半日
堅き皮をばむしりてありき
し、谷口ジロー・関川夏央『坊っちゃんの時代』で読んだりもして知ってたんだけど、今回あらたに思ったのは啄木が歌に詠んでる啄木の友達もだめなやつだなあ、ということだった。しかもそのだめっぽさが自分のまわりにいるやつらの感じに似ているのだ。
樺太に入りて
新しき宗教を創(はじ)めむといふ
友なりしかな
共同の薬屋開き
儲けむといふ友なりき
詐欺せしといふ
「カラフト行こうカラフト! 新天地! ノー閉塞感!」
「薬屋やろう薬屋! 一発当てて富豪!」
こんな感じだったのだろうか。だめだなあ、と思うとともに、安心する気持ちもあった。自分(たち)のような感じでうだうだくだらないことやってるやつらは百年前からいて、自分たちが特にくだらなくなっているわけじゃないんだ、と思ったからだ。