phaの日記

なんとかなりますように

「俺はもうだめだ」という気分

昔に比べて文章が下手になってしまった、と思う。
以前はもっと、スッと意味の通るわかりやすい文章が一発で書けていた。それが今では、なんだかもたもたした、わかりにくい文章しか出てこなくなっている。
何度も見直して書き直せば、わかりやすい文章を作ることはできるのだけど、昔に比べて余計な手間がかかるようになった。
これは四十代になって、加齢の影響が出てきたということだろうか。多分そうなんだろう。

僕は二十代の頃から「全てがだるい」と言っていたけれど、今思うとその頃は今より全然元気だった。
あの頃は毎日のように面白いアイデアを思いついていたし、たくさんの人と会って話したりする元気もあったし、本を読んで感動をすることも多かった。
今は、体力は落ちたし肩こりもひどくなった。頭の回転も悪くなったし、感受性も鈍ってきた。自分の中にあった良いものはすっかり失われてしまったし、今後もさらに衰えていく一方なのだろう。もうだめだ。
こんなことなら元気なうちにもっと自分の能力をいろいろ活かしておくべきだったと思うけれど、人間は愚かだから、失うまで自分の持っているものの素晴らしさに気づかないものなのだ。

だめだ 俺はもうだめだ
 
──ゆらゆら帝国 "ズックにロック"


しかし、また別のことも思う。
僕は若い頃からずっと「大事なものが失われてしまった、もうだめだ」という気分を持っていた。
二十代前半くらいの頃にはすでに「十代の頃に比べて、自分の頭は働かなくなってしまった」「道を歩いているだけで心を揺さぶられるようなみずみずしい感受性は失われてしまった」と思っていた記憶がある。
三十代の頃も、「もうおっさんになってしまった」「大抵のことはやってしまって、やりたいことが思いつかなくなった」「もうだめだ」と思っていた。

多分、僕の脳が持っている基本的な気分が、「大事なものが失われてしまった、もうだめだ」という感じなのだと思う。
昔からそういう気分で生きてきたから、前向きに成長しようとか、大きなことを成し遂げよう、ということはあまり思わなかった。過去をうじうじと振り返りつつ、喪失の気分に浸っているほうが好きだった。それが僕という人間の基本的性質なのだろう。

そこで思い出すのは、二十代の頃、ずっとゆらゆら帝国が好きだったことだ。
僕がゆらゆら帝国が好きだった理由は、「大切な何かが失われてしまった喪失感」がずっと歌われていたからだ。虚無や喪失について歌う坂本慎太郎のけだるげな声を聴くと、とても心が落ち着いたのだ。

昔の仲間は一人ずつ
はなれて今ではもういない

──ゆらゆら帝国 "太陽のうそつき"

頭振っても楽しくない
腰を振ってものれない
ぼく本当はいろんなこと
いつも考えてたのに

──ゆらゆら帝国 "昆虫ロック"

大切なものが音をたてずに壊れたの
シャボンのように

──ゆらゆら帝国 "ドックンドール"


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ゆらゆら帝国解散後の坂本慎太郎のソロの楽曲では、喪失を嘆くという段階から一つ進んで、喪失はもう当たり前のものとしてあるからその虚無の中で淡々と踊り続けるしかない、という曲が増えているように感じる。
初期ゆらゆら帝国の頃のような強い情念はないけれど、心地よい平坦な空虚さがあっていつまでも聴いていたくなる。

どうせこの世は幻 なんて 口にしちゃだめだ
もううっすらみんな知っている
 
──坂本慎太郎 "ナマで踊ろう"

何やってんだろうね はぁ 踊ろう
何やってんだろうね はぁ 踊ろう
 
──坂本慎太郎 "好きっていう気持ち"


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坂本さんも、僕と同じようにずっと虚無や喪失を基本的な気分として持っている人なんじゃないだろうか。
だとしたら、そうした気分を持っていることは悪いことじゃない。その気分から、ゆらゆら帝国の名曲たちがたくさん生まれたのだから。

しかし、こうも思う。
自分が四十代の今感じている虚無感や喪失感は、今まで感じていた、気分だけのものではなく、わりと本物のやつなんじゃないか。
実際に肉体的な衰えは感じている。頭の働きも少し鈍くなっている気がする。「何かが失われた気がする」のではなく、実際に何かが失われているのだ。
だとしたらどうすればいいのだろうか。

今までは気分だけの喪失感だったけれど、今はそれに実際の喪失がともなっている。
つまり気分と実態が一致したということだ。ようやく、自分の気分に自分の実態が追いついたのだ。
ということは今が一番、自分が自分らしさを発揮できる年代なのかもしれない。今こそが完全な自分なのだ。

いや、しかし、僕という人間の面白い部分は、若いけれど喪失感をずっと持っている、というミスマッチな部分だったのかもしれない、とも思う。
中年になって喪失感を持っているというのは、わりと普通だ。
つまり、年を取ることで、他の人と同じような、別に珍しくない、普通のつまらない存在になってしまったのかもしれない。

どちらに転ぶのだろうか。よくわからない。
何をやるにしてもとりあえず、今までとはやり方を変えなければいけない、ということだけはわかっている。


最終回の 再放送は
最終回の 再放送は
最終回の 再放送は
無い!!

──ゆらゆら帝国 "無い!!"


空洞です 

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追記

完全に忘れてたけど、13年前の30歳のときにも「もう30歳になって頭が働かなくなってきたからだめだ」って記事を書いて、ゆら帝の曲を貼ってた。自分全然変わってないな……。

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