phaの日記

パーティーは終わった

どうせ俺らは早く死ぬ



このあいだ編集者の人と原稿の打ち合わせをしていたのだけど、いいアイデアが全く出てこなかった。
若い頃は人生の中で面白いことやワクワクすることがたくさんあったから、感じたことをそのまま書いていけばよかった。だけど、40代に入ったくらいから、心が動くことがあまりなくなってしまった。そうすると何を書けばいいかわからなくなった。若さの終わりを感じる。もう、自分に書けることはなくなってしまったんじゃないだろうか。
そんなことを思ったままに話すと、編集のTさんは「では、そういう気持ちをそのまま書くのはどうでしょうか」と言った。
「過ぎ去った若さについて書くとしても、50代になってから書くと、もう完全に枯れきった感じの遠い目線になってしまうと思うんですよ。でも、40代初めの今ならまだみずみずしい喪失感を書けるんじゃないでしょうか」
確かに、それはそうかもしれない。それは今しか書けないことな気がする。
40代くらいで、僕と同じような虚無を抱いている人は他にもいるだろう。そういう人たちに向けた文章になるのだろうか。中年には中年にしか書けないことがあるのかもしれない。そういう方向性でちょっとやってみようか。


なんとなく思い出していたのは、去年見たあるライブのことだった。
ステージの上では、黒いパンツ一枚だけを履いたスキンヘッドの中年の男が、あまり上手くない歌声で、一生懸命に声を出していた。

どうせ俺らは 早く死ぬ(老害)
どうせ俺らは 早く死ぬ(老害)
どうせ俺らは 早く死ぬ 
どうせ俺らは 早く死ぬ
若者よりも 早く死ぬ


黒いパンツにはテルミンが取り付けられていて、ときどき彼が股間に手を伸ばすたびに、キュイーーーンと異音を放つ。
大阪が生んだ、よくわからんおっさんの一人ユニット、クリトリック・リスだ。


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僕はなんだか自信がないときに、クリトリック・リスの動画をよく見る。
特にカッコいいわけでもなく、歌も上手くない、たるんだ体の中年のハゲのおっさんが、パンツ一丁でステージに立って全力で歌っている姿を見ると、少し元気が出てくるのだ。
カッコ悪くたっていい。才能なんてなくてもいい。若さなんて必要じゃない。どうせそのうち死ぬんだから、中年になっても老人になっても何もできなくても、生きているうちは自分の精一杯をやっていくしかない。そう開き直れる気がしてくる。

クリトリック・リスをやっているスギムさんは、全く音楽経験がなかった36歳のときにたまたま飲み屋で誘われて、音楽活動をすることになったらしい。*1

僕はクリトリック・リスの曲では、『桐島、バンドやめるってよ』や『1989』など、若くて楽しかった頃の記憶を懐かしみつつ、それでも今を生きて行くしかないんだ、という哀愁と前向きさが込められた曲が好きだ。


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最近ずっと何もやる気がしないけど、もう少しだけ何かをやってみようか。もう何も大したことができないかもしれないけど、それでも人生は続いていくのだし。
 
 

 
 
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