phaの日記

パーティーは終わった

神様の話 つづき



 12月14日に書いた「神様の話」のつづきです。


 祭りなどで盛り上がれなくなってしまったのは歴史的にいつくらいからのことなのだろう。
 現代の日本で熱狂的に盛り上がっていた人たちとしてまず思い出したのは40年くらい前の学生運動の人たちで、あそこには神様はいなかったけれど中心に「思想」とか「社会正義」とかいう人間より一段高いものがあったからあれほど盛り上がれたんだと思うし、同じ時期に三島由紀夫が天皇天皇って言ってたのも、盛り上がるかどうかとは少し違うけど、中心に人間より一段高いものがあったほうが人間はしっかりと生きられる、ってことなんだろう。

 人間よりも一段高いものがあったほうがなんか知らんけどいいっぽいという話なのだけど、一段高いものにもいろいろあって、ぼくは天皇とかマルクス主義とかキリスト教とかにはあんまり興味がない。ここではとりあえず人間より一段高いもののことを神様と呼ぶけれど、ぼくは、数十万人単位で共有することができるような大きな神様にはあまり興味がない、ということなのだろう。それだけ多くの人を統べるためには、どうしても抽象化や複製技術や教育を経ることが必要になって、そしたらアウラが薄れてしまって魂が打ち震えへんやん、とか思ったりするんだけど、多分そう感じるのはぼくの好みとして、感覚や感情に訴えかけるものが好きだ、というのがあるからだと思う。これはぼくの個人的な好みであると同時に、ある程度までは時代に共通する感覚だと思うけど、こういう時代論的なことを言い出すとついうっかりぽすともだんとか言ってしまいそうになるのでこっちの方向にはあまり突っ込まない。
 絵や彫刻や詩や音楽に心を揺さぶられたり、とてつもなく大きな木とか、夜の真っ暗闇とか、星や月を見て天体の動きを感じることとか、そういったものに向かいあって、足もとがぐらぐらするような気分になるのが好きだ。一つ一つの村や町に一人一人が実感を持って感じ取れるくらいの小さな神様や妖怪がいた昔はいいなあ、とか思ったりもする。
 神様などということを考えだしたきっかけはさっき言った友達なのだけど、そのことを考えつづけるようになったのは、最近ぼくが音楽を聴いたり楽器を演奏したりすることに興味を持っているからだと思う。
 ここから書くことは別に音楽に限らず絵にも彫刻にも詩にもあてはまることなのだが、凄い演奏を見て「鬼神のようだ」とか「何か降りてきてるみたい」とか感じることがある。神様のことを考えるようになってから、音楽の凄さと人間より一段高いものを感じることは繋がっている気がすると感じはじめた。「音楽や踊りはそもそも神事だった」という今までは知識としてしか知らなかったことが、何となく実感を伴ってきた。
 そして、自分が楽器を演奏するときにも、神様を意識するべきなんじゃないかと思った。楽しみたいとか楽しませたいとか上手になりたいとかそういう人間的な心持ちで演奏するよりも、人間よりも一段高いものを意識しながら何かを降臨させるくらいのつもりで演奏したほうが、何故かいい感じになる。実際に神様がいるとは思っていないけれど、神様を意識しながら演奏するほうが良いというのは「高い声を出すときは頭のてっぺんから声を出しなさい」というのに似ている。これは、勿論本当に頭のてっぺんから声が出るわけではなく声は口から出るのだけど、頭のてっぺんから声を出すように意識することで、高い声が綺麗に出るように体が調整されるということなのだろう。それと同じように、人間より一段高いものを意識することで、自分の状態がいい具合にチューニングされる(かといって、本当にリアルで頭のてっぺんから声が出ていると信じるのはどうかと思うように、あんまり真剣に神の実在を説かれても引いてしまうところはあって、「あえて神様とか言ってみる(テスト)」なんてスタンスをとらなければならない現代という時代は面倒臭いなあとか思うけど、わりとそういうのは嫌いじゃなかったりもする)。
 今思いついたけど、何で神様を意識するといい状態になるのかって理由は「神様という形を持たせることで人を戦慄(感動でも恍惚でもいいけど)させるということ(芸術の本質)を把握しやすくなる」というのと「ごまかしのきかない他者の目を意識するので真剣にならざるをえない」せいかな。
 ぼくは自分に音楽の才能があるとはあまり思っていなくて、自分に鬼神のような演奏ができる気はしないけれど、それでも遊びでもこれからも楽器を演奏していくなら、そこには神様と繋がるような境地がありうるということを意識しておくべきかな、辿りつけないにしてもそういう境地に敬意を払っておこう、と思った。最近は書いていないけれどものを書いたりすることについてもそうだ。そんなに意識していれば、何かの弾みで半年に一回くらいは凄いプレイができるかもしれないし。
 これは何かものを作るということに限った話ではなくて、普通に道を歩いていたり、景色を見たり息を吸ったり、を撫でたりすることに関しても、なんとなく人間より一段高いものに対する軽い畏れのような意識を持っていたほうが、自分が良い状態になる、ということを感じる。よくわかんないけど。
 うわー、俺も変わったなあ。10代のときは20代前半まではこんなことをいう奴を非合理だって馬鹿にしてたのにな。
 おわり。