3泊4日のベトナム旅行ではベトナム人相手に英語ばっかり喋っていたんだけど、同行の日本人の人に「ずいぶん英語が達者ですけど留学とかしてたんですか」と言われた。えええええ。俺が? とんでもないです。って答えたんだけど、俺、発音は結構よくなったのかもしれない(その同行の人の英語力は基本的な会話はこなせるけど発音はそんなに良くないって感じ)(あと、1時間2ドルでホーチミンを案内してもらったバイクタクシーのお兄ちゃんにも「前に乗せた日本人は英語が下手だったけどお前の英語は良い」って言われたし)。以前リリーに英語習ってたときに発音を練習することの大事さを教えてもらって以来、
英語・発音・語彙/英語耳
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などを参考にしながら発音とリスニングの練習を続けているんだけど、そのおかげだろう。発音がうまくなるとリスニングもうまくなるという話があるんだけど、確かにリスニング能力も向上してると思う。まだテレビのニュースとか映画とか見てもところどころしか意味はわからないんだけど。これからも練習に励みます。
複数の言語を話す場合、「日本語モード」「英語モード」「タイ語モード」などの頭の切り替えが行われる気がしている。英語の歌詞が日本語に聞こえる空耳アワー現象というのが有名だけれど、これはモードのずれ、つまり日本語モードの耳で英語を解釈しようとするときに起こるんだと思う。
言語の中のある特定の音というのは、標準的な発音を中心としてある程度の広がりを持つ音の範囲である。聞き取る際には、その音の発音が標準からある程度のずれがあっても、聞き手はその音を標準に引き寄せて正しく認識する。えーとうまく説明できない、例えば「あいうえお」の「あ」と「apple」の「a」は違う音なわけだが、その「あ」と「a」の中間の音を聴いた場合、日本語モードの脳だとそれを「あ」と捉えるし、英語モードの脳だとそれを「a」と捉えるだろうということです。空耳というのはそういうことだ。
ベトナムに行く前はタイ語をよく勉強していたので、英語を聴いたときにタイ語の単語を思い浮かべてしまう空耳が起こっていた。数を数える際も英語よりタイ語の方がすんなり出てきた。それがベトナム行く前の準備やベトナム滞在で英語に囲まれて過ごしているうちにだいぶ英語モードに切り替わり、ベトナムから帰ってきた今もかなり頭が英語に調整されている。今は何か喋るときに英語での発想が出てきやすいし、英語のリスニング能力も向上している。でも、また昨日からタイ語の学校に行ってるから、またタイ語モードになっていくんだろうと思う。そうしたらまた英語の能力は少し落ちるんだろうな。だいたいモードが切り替わるのに3日から5日かかるという感触だ。昨日今日で少しずつタイ語に慣れてきた。
今は英語とタイ語を平行しながら勉強しているのだが、どうしても「三歩進んで二歩戻る」のような感じがしている。まあどちらも少しずつ上達しているのだが。そういう二重生活を送っていたらモードの切り替えが早くなったりするかな。
モードの切り替えは必須なのだろうか。どちらも理解できる万能モードがあったらいいのに。もっと完璧なバイリンガルの人でも、モードの切り替えが早いだけでやっぱりどちらかに切り替わっているんだろうか。