phaの日記

パーティーは終わった

『映画:フィッシュマンズ』を見た



『映画:フィッシュマンズ』がめちゃめちゃよすぎたので何か書きたくなった。

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フィッシュマンズの映画として完璧だったと思う。こまめにライブシーンが挟まれるので170分が長く感じなかった。映画が苦手めな僕が、もう一回見てもいいな、と思った。


しかし、フィッシュマンズが今でも人気というのはすごく不思議な感じがする。今年映画が公開されて、海外でも音楽が高く評価されているらしい(フィッシュマンズ、“再評価”と海外における“熱狂”が示す可能性…「172分」大作ドキュメンタリー映画が7月公開|日刊サイゾー)。
僕はもう20年以上フィッシュマンズを聴いているのだけど、完全に懐古でノスタルジーでモラトリアムのつもりで聴いていた。いい年してずっと昔の曲ばっかり聴いてる老人みたいなつもりで聴いていた。だけど、それが今でもそんなに古びてなくて、今でも普通に評価されていることに、少し戸惑っている。

ドアの外で思ったんだ あと10年経ったら
なんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何もできないよ
僕はいつまでも何もできないだろう

フィッシュマンズ "IN THE FLIGHT"

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5年前に書いた記事(冬とカモメとフィッシュマンズ)でもこの「IN THE FLIGHT」の歌詞を引用した。
10年経ってもずっと変わらないで、何もできない自分でいたいというモラトリアム。歌詞もひたすらに内向的で、コード進行も延々と同じ4つのコードをぐるぐる回しているだけの、自閉の極みのような曲。
こんな感じの曲は、年をとって成長したらもう聴かなくなるものだと思っていた。
だけど未だにずっと聴いているし、今の若い人たちにも聴かれている。
佐藤伸治はひたすら自分の世界を内へ内へと掘り続けた結果、いつの間にか普遍性を手にしていたのだ。


映画を見て思ったのは、フィッシュマンズが思ったよりもバンドだった、ということだ。
僕は佐藤伸治が亡くなった2年後くらいに後追いで聴き始めたので、印象が強かったのは後期の、メンバーが3人になって、どんどん内側に潜っていくような音楽性の時代だった。だけど映画を見ると、初期は小嶋さんとかハカセとかがいて5人で、もっと売れようとしてたけどうまくいかなかったとか、いろいろあったというのを感じられたのがよかった。
なんか、佐藤伸治がその音楽性を突き詰めていくにつれて、メンバーが一人ずつ脱落していった、というあたりが、とても切なくて、そしてこういうのこそがバンドだな、という感じがあった。
人が集まって、仲良く盛り上がって、でもうまくいかないところも出てきて、少しずつすれ違っていく、これがバンドなのだよな。一人で音楽をやるのでは生まれない部分だ。


ブログ「空中キャンプ」の伊藤聡さんがフィッシュマンズについて語るスペースをやってたので、おじゃましてちょっと話していたのだけど、「後期の世田谷三部作がやっぱりすごいからよく話題に出るけど、あのへんは突き詰めすぎて息が詰まりそうなところもあるので、初心者はもっとポップな初期とか中期の曲から聴き始めたほうがいいんじゃないか」という話が出ていた。確かにそうかも。
いきなり「IN THE FLIGHT」とか「ゆらめきIN THE AIR」とか聴くと、彼岸の匂いが強すぎて入りにくいかもしれない。初期中期は楽しいバンド感があっていい。「いかれたBaby」とか「チャンス」とか。このへんから聴くのはおすすめ。

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そしてやっぱり欣ちゃんがよかった。
欣ちゃんがインタビューで「僕はフィッシュマンズの音楽が大好きで、この人生でフィッシュマンズの音楽に出会えて本当によかったです」とか言うんだけど、ファンかよ、って思った。本当にサトちゃんが好きすぎるんだな。そんな欣ちゃんの無邪気さや明るさが、フィッシュマンズを支えていたんだな。

佐藤伸治がいなくなってからのフィッシュマンズはあまり聴いていなかったのだけど、この映画をきっかけに見てみたら、予想外によかった。

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佐藤伸治が作り上げたフィッシュマンズという巨大なイメージのもとに、現代のさまざまな才能が寄り集まっていく、という感じでいい(個人的には勝井祐二のバイオリンがかなり勝井さんぽい感じで、これはフィッシュマンズと勝井のコラボだ、と思ったら楽しくなってきた)。フィッシュマンズの曲はそれを受け止めるだけの普遍性やスケールがある。

もう20年はフィッシュマンズを聴いてるけれど、あと10年は変わらず聴いていると思う。