phaの日記

パーティーは終わった

アートのリテラシーやら



 なんとなく考えてたことが言葉としてまとまったので、引っ越しやなんやで途切れてしまったrucciさんとこの2月16日のコメント欄のつづき的なものを書いといてみます。
 芸術作品などに関して、感動するにはそれを受け取るときの「受容のコツ」が必要だなあというのは思います、音楽にしろ絵画にしろ何にしろ。「これはこんなに見ればよかったんだ!」って不意に気づいたりするやつ。それは例えば、あえて話を芸術から離して説明するけど、マジカルアイ(だっけ? あの視点をずらして二つの絵を見ると立体的に見えるやつ)が立体的に見えるにはどんなに見ればいいか、とか、ホーミーの高いほうの声が聴こえるかどうかとか、そういうような、言葉では伝えにくい感覚の持ち方や意識のあり方じゃないかと思う。どんなことを期待してどんな神経を澄ませてそれを受け取ればいいかというのがよくわかんないと、その作品が良い作品でもその良さが受け取れない→感動できない、というのがあるんじゃないかなあ。
 推理小説しか普段読まない人が純文学を読むと、それがとても良い作品であっても、ずっとそれを期待して読んでたのにラスト近くで何のどんでん返しもなく終わってしまった! とか肩透かしを食ったように思ってしまうかもしれなくて、これは何を期待するかという「受容のコツ」の問題でもあるし「その世界のお約束」という話でもあるな。
 じゃあ例えば、外国人が日本の味噌汁や漬物を最初食べたときにあまり美味しいと思わなくて、でもその後食べつづけてたらその食事の楽しみ方が分かってきて、だんだん美味しく思えてくる、というのもあったりするんじゃないかな。そんなに、経験によってリテラシーが形成されると鑑賞力が高まるというのは、慣れによって受容のコツをつかむということなんじゃないかと思いました。
 あと、それほどリテラシーとか慣れとかコツとかなくても感動しやすいものってあるな。凄い夕焼けとか。凄い夕焼けを見て凄いと思うのは古今東西万人共通な気がしてしまうけど、そうではなくてそれもある種のリテラシーが必要だったりするのかな。夕焼けは世界の文化の何割に通用するのか。太陽の塔世界の文化の何割に通用するのか、とか気になる。
 もう一つ、昔id:mikan3から聞いた話だけれど、最初それほどピンと来なかったものが慣れるにしたがってだんだん楽しめるようになってくるというのは、その刺激を伝達する脳内のシナプスがその刺激を受けるたびに増強されていくかららしいぞ、という話は誰がどんな文脈で言ってた話だっけ? >mikan3(見てるかな?)
 シナプスの形成される度合いというのはどんなに年齢と関連する? シナプスの形成を助ける方法(何か栄養素を摂取するとか)はある? DNAとか飲んだらいいのかしら。
 そんな感じで。もう10時半だ。寝なきゃ。