何かものをつくりたい。で、クリエイティヴィティが欲しいんだけど、どうしたらいいのかよくわからない。
今までは特に何も意識することなく適当に日々を過ごしていたら、たまーに2、3ヶ月に一度くらいクリエイティヴィティらしきものが降りてきて、何かいろいろちまちまと作ったりしていたのだけど、これをもっと恒常的なものにするにはどうしたらいいのだろうか。今まで2、3ヶ月に一度降りてくるときには、どんな条件が揃っていたから降りてきたのだろうか。
もうひとつ、そもそも自分がどんな分野のものを作りたいのかがよくわかっていない。今までは、そのときの気分に合わせて文章を書いたり短歌や俳句をひねったり写真を撮ったり料理を作ったりcssを書いたりしていたけれど、どれも1ヶ月くらいですぐに飽きてしまい、どれも大してものになっていない。
このへんは覚悟とかモチベーションの問題かもしれない。そのへんが俺には足りない。
自分が今まで作ったものの中でいちばん質が高いのは短歌や俳句の類だと思っているのだけど、このへんをつきつめるべきなんだろうか。でもこのへんをつきつめても地味だし食えないしな、というのはモチベーションをそぐ。
自分に今までできたことはなんだろう。例えば短歌や俳句や短い文章でできたことは、ちょっとひねった短い文章によって、何か普段とは違うちょっと変わった〝絵〝を見せるということだろうか。それはあくまで〝絵〝であって、〝世界〝と呼ぶには包括的ではなく、意志やパワーも足りない。
それは、自分の人生に対する態度を反映していると思う。
自分は何かをつくるべきなんだろうか。よくわからない。
ものをつくるモチベーションというのは何だろう。俺のモチベーションが弱いのは、それはただ「ものをつくっているときが楽しい」ということだけなせいだろうか。だから、楽しくないとすぐにやめてしまう。もっと「これを他の人に伝えたい」とか「誰かに影響を与えたい」とか「世界を変えたい」とかそういう意志を持っているべきなのかもしれない、ものをつくる人間というのは。
そのへんが俺には足りない。自分のことばっかり考えているせいか。これも自分の人生に対する態度を反映している。
「使命感」を得るにはどうしたらいいのだろう。と、そういう風に考えて得るものではないのだろう使命感は。
友達が「何かをするときには使命感が大事だ」ということを言っていて、またそれとは独立に、保坂和志という小説家が「小説を書く動機は「もてたい」とか「有名になりたい」とかそういうものではなく、使命感に基づいて書くべきだ」ということを言っていて、俺に足りないのは使命感か、と思った。で、使命感を持てないというのは、俺の精神がまだそこまで成熟していないためなのだろう。
どういう風に生きていこうか。生きているうちに何をしようか。ということを最近考えているけれど、何をしたらいいかよくわからない。
うーん、最近全然人と話してないから変な風に煮詰まってるんだろうか。大阪に引っ越してきてしばらく一人で平気だったけど、そろそろ誰かと話したくなってきた。春のせいかもしれないけれど。