phaの日記

パーティーは終わった

ピジンジャパニーズ



 あとで読む。まだ一部分しか読んでないけどすごく面白そう。日本にこんな面白い言語環境のところがあったんだな。
 まず始まりはこんな風。

小笠原諸島父島に人間が最初に定住したのは1830年のことで、それまでは無人島であった。1830年に住み着いたのは、5人の欧米人と彼らがサンドウィッチ諸島(ハワイ)から連れて行った「カナカ人」(太平洋の諸民族の総称)の女性5人と男性10人であった。

5人の欧米人の母語は、イギリス英語、アメリカ英語、デンマーク語とイタリア語であった。

 そしていろいろとあって太平洋戦争を経て米軍の統治時代があり、1968年のアメリカから日本への返還直後にはこんな言葉が話されていたらしい。

「ミーは七年生だよ。」(小中学生→教師、有馬敏行1975:36,37)

「ミーらのティーチャー来るのかい。」(同上)

「ユーは何のティーチャーかい。」(同上)

 おもしれー。