昔、時間がうまく把握できなかった。例えば十代の頃。
例えば、「今」は「さっき」より2分経ったのか5分経ったのか15分経ったのか時計を見るまで全く分からなかったし、「ちょっと前」に起きたあの出来事は「今」から10分前のことだったのか25分前のことだったのか1時間前のことだったのか全然説明できなかった。自分で測る時間の目測はいつも時計が示す時間と大幅にずれていた。「さっき」起きた「それ」は大体「何分前」のことだったのかを、そんなに悩みもせずに説明できる周りの人たちが理解できなかった。
けれどこの世界はそんな自分の感覚とは関係なく、時計で定められた時間を区切りにして授業が始まって終わり、時計で定められた時間の経過によってバイトの時給が支払われるという仕組みなのだった。時計の針の動きや117の時報や、子午線や天文台や地球の自転や公転や、原子時計が発する電磁波の周波数によって、この世界に流れる時間は各個人の感覚とは関係なく「標準時」として暴力的に統一され、その中にいる人間は「それ」に合わせて生きることを強要されている。「何かに夢中になって没我の境地にいる10分間」と「ひたすら苦痛に耐え続けている10分間」は主観的には全く長さの異なるものだけれど、それらは社会では同じように扱われる。そのことが小さい頃からずっと納得できずにいた。「自分の体調とか気分とか時間感覚は毎日変わるのに何で毎日決まった時間に学校に行かなきゃいけないのか理解出来ない、意味分かんない」と思っていた。
時間 それは全ての人間に同じように流れているわけではないと思うよ
時間 それは感覚であって 生きたということはただの記憶でしかないって本で読んだ
時間 濃密な時間 複製された大量の時間 時間 時間 時間の大安売り
時間 のたれながし 時間の売買 時間に追われる 時間に支配される
時間 時間 時間がない 時間のなかでただ溺れている
しかしそれからたくさんの時間が過ぎて、32歳の今の自分は、わりと時間の目測ができるようになっている。「大体15分ぐらい経過した」「10分弱ほどぼーっとしていた」「電車で30分弱移動した」「9時間くらい眠っていたようだ」ということが時計を見ずとも何となく分かる。目測の時間と実際の時間の経過にそんなにズレがない。
それは成長や能力の獲得なのかもしれないけれど、でも何だか自分にとってはそれが何かの堕落であるような気がしてならない。堕落と、慣れと、妥協と、何かの喪失であるようなそんな感じ。
今はもう2011年なんだ。
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