前回の1991年のクーデターについて調べた。
1985年9月9日、1981年4月のクーデター未遂事件の首謀者であるマヌーン大佐が少数の部隊を動かして再びクーデターを試みたが、
まず、クーデター未遂事件の首謀者がそのまま大佐でいることに驚き。確かにおだやかですね。クーデター計画が発覚したら死刑とかそんなんではないんだな。
1991年2月23日による軍事クーデターは、大きな混乱や反対もなくスムーズに成功に終わり、拘禁されていたチャチャイ前首相も、クーデターの2週間後には軟禁を解かれた。
首相も殺されたりしないようだし。
クーデター直後、スントーン国家治安維持団団長は、チェンマイでプミポン国王に拝謁、国王が戒厳令の解除、新憲法の早期制定、半年以内の総選挙実施を強く要求したとされ、1991年3月1日、暫定憲法が公布され、3月6日に、軍人出身ではなく外交官出身、サハ・ユニオン社会長、タイ工業連盟会長を務めたアナン・パンヤーラチュン(1932年生まれ)を首班とする暫定内閣が発足した。
今回もこんな感じで着地するのでしょうか。憲法が変わるのかな。どんな風に変わるんだろう。