12月16日、シネスイッチ銀座で映画「犬に名前をつける日」の上映後に山田あかね監督とトークをさせていただくことになりました。
①『犬と猫とのんびり暮らす方法』
【日時】12月16日(水)19時〜21時半(19時からの映画の上映、トークは21時から30分)
☆トークゲスト pha(ふぁ・ハンドルネーム)さん。
京大卒の日本一有名なニート、保護猫と暮らすphaさん。2014年7月「ザ・ノンフィクション お金がなくても楽しく暮らす方法」(フジテレビ)で、phaさんのドキュメンタリーを監督・山田あかねが撮影。動物とのんびり暮らす方法についても、話します。
よかったらお暇な人は見に来てください。
前にもこの映画に関連して、犬の殺処分について「資本主義や市場原理の論理は、命という問題を扱うには向いてない」と書いたとき、次のような二つの批判がありました。
1. 動物に対する酷い扱いは資本主義ではなく社会主義の国でも行われていた。資本主義の問題じゃない。
うーん、それはそうかもしれない。でも、「(嗜好品の)大量生産→大量消費→大量廃棄」というのは資本主義ならではのものじゃないでしょうか。そして、そういう大量生産→大量廃棄のシステムの論理で動物を大量に雑に産ませて大量に雑に殺すという感じで扱うのは、なんかやっぱ気持ち悪いなと思います。たくさん産ませてたくさん殺したほうがそのほうが儲かるというインセンティブがあるのがよくないというか。
2. 豚なんかの家畜は犬や猫よりもっと酷い扱いで殺されている
これもそうだと思います。
ただ、最初から殺して食べるために育てられてる動物を殺すのと、ペットとして愛情の対象として扱われることになっている動物を殺すのでは、やっぱりちょっと抵抗感が違う感じがあります。
ペットの殺処分は、「ペットショップで買わずに保護犬や保護猫を引き取って育てる」「捨てないようにする」などという、ユーザー側の対応でかなり減らせる(ゼロにできる可能性もある)というのも違う点ですし。
あと、これは、大切にする命と大切にしない命と、どこで線を引くかという話になると思うんですよね。
全ての命を大事にするとなると、蚊やゴキブリも殺せないし、納豆菌や乳酸菌を食べるのもダメになるかもしれない。だからどこかで線を引く必要はある。
線を引く場所として、「人間と人間以外」というのが一つあります。人間は殺しちゃだめだけど人間以外は殺しても物を壊すのと同じ扱い。それはすっきりして分かりやすい。
でも、その線を引く場所を、ペットなどの人間が感情移入しやすい動物の方にも少し広げたほうが、現代の大多数の人間の感情的な感覚としては自然なんじゃないでしょうか。
そういう「どの命をどこまで大事にするか」という線引きって時代や国によって変わるものだと思います。昔は犬とか猫ってもっと簡単に殺されていただろうし、人間の命自体の扱いももっと軽かった。戦時中の状況とか典型的だし、下の「毎年人が死んでた」という昔の花見の話とか聞いてもそう思う。
でもだんだん社会が成熟してくるにつれて、命を雑に扱わないように、って穏やかでジェントルな感じになっているのが世の中の流れなんじゃないだろうか。
50年後くらいには「豚とか鶏ももっと人権的に優しく殺そう」とか「肉の培養に成功したので動物を殺さずに肉を食べられるようになりました。昔は屠殺場とかあって生き物を殺して肉を食べてたらしいよ。野蛮すぎるね……」という感じになっているかもしれないと思う。
- 作者: 山田あかね
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